中国
チベットのカンリンポチェ山の周囲52キロを歩く巡礼は、「コルラ」と呼ばれる。2019年9月、巡礼路の最高地点ドルマ・ラで自撮りをする人たち。四つの宗教で聖地とされるこの山の四方には、インダス川など、4本の川の源流がある。(PHOTOGRAPHS BY BRENDAN HOFFMAN)
この記事の写真撮影の一部は、南アジアジャーナリスト協会の助成を受けています。
この記事は、雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版 2020年7月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

世界有数の大河、インダス川は、ヒマラヤとその周辺の氷河から流れ出す豊かな水を運び、2億7000万人の生活を支えている。しかし、地球温暖化の進行とともに氷河が縮小し、2050年頃から川の水量が減少に転じるという。そうなれば多くの人々の暮らしが脅かされ、インド、パキスタン、中国の関係は悪化するだろう。

 チベット西部に位置する聖地、カンリンポチェ山。その周辺からは、4本の大河が源を発する。

 ヒマラヤ山脈を東へ西へと流れるそれらの川は、尊い水の女神が伸ばした腕のように、海を目指して下ってゆく。流域のチベット、パキスタン、北インド、ネパール、バングラデシュには文明が芽生え、国家が成立していった。川の水をどう使うかは、流域の人間しだいだ。川に水をもたらすのはモンスーンと氷河の融解で、どちらも長い間、人の力が及ばない領域にあったが、今は人間も影響を与え始めている。

 ブラフマプトラ川をはじめ、ヒマラヤ山脈東部から流れ出す河川の水源は主に夏のモンスーンだ。地球温暖化が進み、大気中へ蒸発する水の量が増えれば降水量も増え、川の水量も増えるだろう。だがカンリンポチェ山から西へと流れるインダス川は、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンドゥークシ山脈の雪と氷河が水源だ。ことに氷河は、冬の降雪を標高の高い山岳地帯で氷として貯蔵し、春から夏に融解水を供給するという「給水塔」の役目を果たしている。これによって水量が安定していたのだ。

 インダス川下流のパキスタンや北インドの平野で、世界最大規模の灌漑農業が行われているのは、そのおかげだ。農業用水を供給する氷河は、流域に暮らす2億7000万人の生命線なのである。

インド
最北部に位置するラダック地方のギャ村で、小川を渡る子どもたち。この川は氷河の融解水をインダス川へと運ぶ。ラダックは乾燥した高地だが、近年の気候変動で氷河の融解が加速し、かつてない規模の洪水が発生している。2014年には氷河湖が決壊して、ギャ村の住宅2戸が全壊した。(PHOTOGRAPHS BY BRENDAN HOFFMAN)

 その氷河のほとんどが縮小しつつある。最初のうちは、氷河が解けた水によって、川の水は増えるだろう。しかし予測通りに気温が上昇し、氷河の融解が進めば、インダス川の水量は2050年を境に減少に転じる。

 すでにインダス川流域の水の6割以上が人々に利用され、流域の人口も急増している。ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受け、国際的な研究グループが行った世界の「氷河給水塔」の現状分析が学術誌『ネイチャー』に掲載された。それによると、最も危機的な状況にあるのがインダス川で、河川の供給可能な水量に対する取水量の比率が高く、「政府の管理が甘い」ことを考えると、インダス川が「この負荷に耐えられる可能性は低い」という。流域で最も深刻な影響を受けるのはパキスタンだ。

 私(著者のアリス・アルビニア)は2003年から06年にかけて、アラビア海からチベットの源流までインダス川を3200キロさかのぼり、一冊の本にまとめた。このときすでに、インダス川の状況が良くないのは明らかだった。かつての大河の姿はどこにもなく、農業や工業、生活用水の過大な需要にすっかりやせ細っていた。水はダムや堰にせき止められて海に注ぐこともなく、マングローブが茂るデルタ地帯も消滅しつつあった。流域の湖沼は工場廃水や下水で汚れきっていた。

インダスの水はどこへ行く?
パキスタンでは、インダス川と支流の水の約6割が人々に利用され、しかもその3分の1が灌漑(かんがい)用運河や水田から蒸発してしまう。川は半乾燥地域の平野を蛇行して進むため、水は自然の生態系にも吸収される。

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