21歳妊婦の残酷すぎる死、白人至上主義の狂気

リンチ殺人が横行した米国、暗黒の歴史(2)

2020.06.20
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この一連の記事には、一部に暴力的な写真が含まれています。本文に述べられている残虐な事件の数々を物語る歴史的資料として、リンチによって殺害されたルービン・ステイシーの写真を掲載することは重要であると考えます。黒人に対する残虐なリンチを撮影した写真は、かつて白人至上主義を永続させるために使われていました。

 人種差別の遺産を広く知らせるために活動している非営利団体「公正な裁きのイニシアティブ」は2018年、全米で初めて、リンチの犠牲者のための「平和と正義の国立記念碑」をアラバマ州モンゴメリーに建立した。

 記念碑を構成する801本の柱は、それぞれ高さ180センチ、さび色の鉄でできている。一本一本が、リンチのあった801の郡を象徴し、そこで犠牲となった人々の名が刻まれている。天井の梁から下げられたそれらの柱は、首に縄をくくり付けられて木から吊るされた黒人男性、女性、子どもたちの体を連想させる。1930年代に、ビリー・ホリデイの『奇妙な果実(Strange Fruit)』という曲が全米で有名になったが、これはポプラの木からぶら下がる黒人の遺体を奇妙な果実に例えた反リンチ運動の歌だ。

 リンチは、司法の外で行われる残虐な処刑行為だ。ただ人を木に吊るすだけでなく、性器を切り取り、指やつま先を切断し、皮膚をはがし、生きたまま火で焼かれることもあった。女性や子どもも犠牲になった。黒人妊婦の腹を切り、胎児もろとも殺されたという記録もある。

1935年7月19日、フロリダ州フォートローダーデールで、木から吊るされたルービン・ステイシー(32歳)。白人女性を「襲った」と訴えられて警察に逮捕されたが、マスクをかぶった男たちに警察から連れ出され、リンチを受けた。NAACPの報告書によると、リンチの現場は彼を訴えた白人女性マリオン・ジョーンズの自宅近くだった。ニューヨーク・タイムズ紙は、「後の調査で、ホームレスの小作人だったステイシーが食べ物を分けてもらおうとジョーンズの家を訪れたところ、ジョーンズがおびえて叫び出したという真相が明らかになった」と報じた。

ステイシーのリンチ写真は全米に拡散、NAACPのジャーナルに掲載され、後に雑誌「ライフ」にも掲載された。さらに、フランクリン・ルーズベルト大統領への報告書にも含められた。NAACPは、1932年にルーズベルトが大統領に当選したことで、恐ろしいリンチが止むことを期待していたが、ルーズベルトは反リンチ関連法案を一切支持しなかった。(PHOTOGRAPH BY ASSOCIATED PRESS)

妊婦への残虐なリンチ

 全米黒人地位向上協会(NAACP)の記録によると、ジョージア州南部で1918年、21歳で妊娠8カ月だった黒人女性メアリー・ターナーが白人の暴徒からリンチを受けた。前日に夫がリンチされたことに抗議したためだった。この事件を調査するために派遣されたウォルター・ホワイトは、1929~1955年までNAACPの会長を務めている。タスキジー研究所によると、1880~1968年の間に、ジョージア州では少なくとも637件のリンチがあった。

 NAACPの記録にはこう記されている。「横暴な農園主のハンプトン・スミスが銃殺され、1週間後にメアリー・ターナーの夫であるヘイズ・ターナーが犯人に仕立て上げられて殺された。メアリーは夫の関与を否定して、夫を殺した人間を公然と非難し、警察に逮捕させると脅した」

 翌日、暴徒たちはメアリーを殺しにやってきた。「彼らはメアリーの足首を縛って木から逆さに吊るし、ガソリンと自動車のオイルをかけて火をつけた。彼女がまだ生きているうちに暴徒のひとりが彼女のお腹をナイフで切り開くと、胎児が地面に転げ落ちた。それを暴徒たちは足で踏みつけた。メアリーの体は数百発の銃弾で覆われていた」

次ページ:黒人殺しの権限を委ねられた白人

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