R・R・“ラッセル”・クラーク | 米海軍兵士
(PHOTOGRAPHS BY ROBERT CLARK)
この記事は、雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版 2020年6月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

推定6600万人もの死者を出した第2次世界大戦。その終結からまもなく75年が経過しようとしていて、戦争の記憶は風化する一方だ。当時を知る人々が少なくなるなか、米国、ヨーロッパ、ロシア、そして日本で貴重な証言を聞いた。

ベティ・ウェブ、英国の情報機関に勤務

「ソーセージロールを焼くだけじゃなく、何か戦いに貢献したかった」

 あの部屋で、公務秘密法に順守する契約書に署名したのよ——97歳のベティ・ウェブはそう言って、歩行用のつえで、広壮な邸宅ブレッチリー・パークの1階の部屋を指し示した。ここは第2次世界大戦中に英国の最高機密の暗号解読作戦が行われた伝説的な建物だ。出窓の向こうに、どっしりとしたデスクが見えた。

「ここでやる仕事については誰にも、ひと言も話してはいけないと言われた。責任の重さに身が震えたわ。そのとき、私は18歳だった」

ベティ・ウェブ | 英国の情報機関に勤務
ブレッチリー・パークで働いていた人々が戦争中の任務について語ることを許されたのは、戦後何十年もたってからだ。(PHOTOGRAPHS BY ROBERT CLARK)

 それは1941年のこと。英国は戦争をしていた。その頃にはすでに、欧州の多くの地域がドイツ軍に掌握されていた。

 ウェブは家政学を勉強していたのだが、女性の後方支援部隊「補助地方義勇軍」に入った。「ソーセージロールを焼くだけじゃなく、何か戦いに貢献したかった」からだ。ドイツ語に堪能だったウェブは、ロンドンから1時間ほどのところにあるブレッチリー・パークに行くよう命じられた。「まったく秘密にされていたので、そこが何の施設なのか知らなかった。誰も知らなかったのよ!」

 当初ウェブは、英国が傍受したドイツの暗号化された無線通信文を分類する作業を担当していた。しかし、戦局が深まるにつれ、もっと創造性を要する任務を与えられた。暗号解読によって入手したものとわからないように情報を書き換える作業だ。

「スパイ活動や盗んだ文書、航空偵察で入手した情報のように見せかけなければならなかった」とウェブは言う。「私たちがドイツ軍や日本軍の暗号を解読していることは、極秘中の極秘で、ごく一部の人しか知りませんでした」

97歳のウェブは、18歳のときに英国の暗号解読拠点、ブレッチリー・パークで働き始めた。ドイツのエニグマ暗号機(写真のモデルは103×1021 通りの鍵の組み合わせを生成可能)で暗号化した文は解読不可能と思われていたが、英国は解読に成功した。(ENIGMA PHOTOGRAPHED AT BLETCHLEY PARK TRUST)

 傍受された日本の通信文の書き換えも行った。その出来栄えが高く評価され、ヨーロッパで終戦した後の1945年6月には、太平洋上で日本軍と戦っていた米軍を支援するため、飛行艇で米国の首都ワシントンに派遣された。飛行機に乗ったのは初めてだったという。

 ブレッチリー・パークで働いていた人々が戦争中の任務について語ることを許されたのは、戦後何十年もたってからだ。「父も母もそれまでに亡くなったので、最後まで知らずじまい。何もかも秘密だったから、戦後に仕事を見つけるのは大変だった。戦争中は何をしていたかと聞かれても、ブレッチリー・パークという場所にいました、としか言えないのだから」

 ウェブがようやく見つけられた職場は、とある学校だった。校長がブレッチリー・パークにいた人だったのだ。「そのとき、彼のことは知らなかった。でも私の履歴書にブレッチリーにいたと書いてあるのを見ると、それ以上何も聞かなかった。気まずい質問もなく、採用されたわ」
̶̶ロフ・スミス

マリア・ロフリナ、ソ連軍衛生兵

「スターリングラードでは、冬には遺体は埋葬されず、ただ積み上げられた。埋める場所がなかったから」

 戦いは75年前に終わったが、95歳になったマリア・ロフリナの手には、指の一本一本に今もその記憶がしみついている。ウクライナ生まれの彼女が16歳になる頃には、ナチスは祖国の奥深くまで進撃していた。「教室から出て、そのまま戦争に行ったようなものよ」。衛生兵になり、ソ連軍に4年間従軍した。

マリア・ロフリナ | ソ連軍衛生兵
(PHOTOGRAPHS BY ROBERT CLARK)

 負傷兵をボートに乗せ、ドニエプル川を渡ろうとしているときに、オールが折れたことがあった。やむなく凍えるような水に手を浸し、必死でかいた。今でも指の痛みは耐えがたく、関節の一つひとつに鎮痛剤を注射している。

 1942年には、ドイツ軍に包囲されたスターリングラードに閉じ込められた。攻防戦は半年余り続き、建物は破壊され、多数の市民が命を落とした。冬の気温は氷点下20℃を下回ることも珍しくない。ロフリナはソ連兵たちとともにトラクター工場にこもっていた。「体を寄せ合って温め合うしかなかった。私たちは誓ったわ。スターリングラードを決して忘れない、体を寄せ合った仲間のことを決して忘れない、と」

 ロフリナが忘れたくても、忘れられないことがある。死にゆく兵士の飛び出した腸を体内に収めようとしたときに感じた生温かさ、ドイツ兵たちにレイプされた末に殺された同僚の衛生兵のこと。「彼らがしたこと、自分が見たことを決して許すことはできない」

 ただ、戦場で彼女に一目ぼれし、戦争を生き延びたら、必ず君にプロポーズすると約束してくれたソ連兵がいた。二人は戦後に結ばれ、48年間連れ添った。
——イブ・コナント

次ページ:勇名をはせた米軍航空兵

ここから先は、「ナショナル ジオグラフィック日本版」の定期購読者(月ぎめ/年間のみ、ご利用いただけます。

定期購読者(月ぎめ/年間)であれば、

  • 1 最新号に加えて2013年3月号以降のバックナンバーをいつでも読める
  • 2ナショジオ日本版サイトの
    限定記事を、すべて読める

おすすめ関連書籍

2020年6月号

第2次大戦終結から75年/氷とコウテイペンギン/動き回る動物たち/女性政治家たちの苦闘/米西海岸 スケボー天国/

推定6600万人もの死者を出した第2次世界大戦の終結から75年。特集「大戦の記憶をつなぐ」では、米国、ヨーロッパ、ロシア、日本で、存命の数少ない戦争体験者から当時の貴重な証言を聞きました。このほか、温暖化が進む南極でコウテイペンギンの現状をレポートした「氷とコウテイペンギン」、グラフィックで楽しむ「動き回る動物たち」など5本の特集を掲載。

定価:本体1,100円+税