公民権闘争の重要な節目に 席を立つのを拒んだローザ・パークス

歴史の中の「逆境を跳ね返した決断」(3):ローザ・パークス

2020.05.22
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バス乗車ボイコット運動

 ローザ・パークスは訴訟を進めることを決意する。黒人コミュニティーは、彼女が出廷する12月5日の月曜日に合わせて公共バスの乗車ボイコットを計画し、ほとんど全員がこれに参加した。裁判はわずか5分で終了。パークスは人種隔離に関する都市条例違反で有罪を宣告され、罰金10ドルと訴訟費用4ドルの支払いを命ぜられた。

 その日の夜、黒人コミュニティーのリーダーたちが一堂に会し、ボイコットの期間延長とモンゴメリー改善協会の設立を決定する。この新たな組織の会長に投票で選ばれたのが、ジョージア州アトランタ出身でバプテスト派の26歳の牧師、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアだった。

 このバス乗車ボイコット運動は381日間続き、公民権の名の下での多くの抗議活動や不服従行動に、州を越えて影響を与えた。そしてついに連邦最高裁判所は、モンゴメリーでローザ・パークスとほぼ同じ仕打ちを受けた女性オーレリア・ブラウダーの裁判で、彼女を擁護する判決を下す。バス車内での人種隔離を憲法違反とし、市とアラバマ州に交通機関での人種隔離の撤廃を命じた。そして最高裁判所は本件以外にも、根強く残るジム・クロウ法に対して起こされた一連の訴えを審理した。

我慢には限界がある。われわれが今夜ここに集まったのは、われわれを長きにわたり虐待してきた者たちに、もう我慢の限界だと言うためだ。差別され、自尊心を傷つけられ、抑圧という名の無慈悲な足に蹴り回されるのはもうたくさんだと。

─モンゴメリーでのバス乗車ボイコット運動が始まった1955年12月5日に、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがおこなった演説より

公民権法

 翌年、公民権法が成立し、あらゆる種類の差別が違法となった。さらに、1965年には投票権法が成立する。いかなる生い立ちの人々に対しても、有権者登録を妨害する行為は一切禁止された。そのころ、ローザ・パークスはデトロイトに住んでおり、ミシガン州選出の連邦議会議員ジョン・コニャーズのもとで、1988年まで働いた。

 彼女が2005年にこの世を去ると、その遺体はワシントンの連邦議会議事堂で2日間にわたり公開安置された。この建物には、1968年に暗殺されたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの胸像も置かれている。あの日モンゴメリーでパークスが乗ったバスは現在、デトロイトのヘンリー・フォード博物館にあり、2012年4月には、アメリカ初の黒人大統領バラク・オバマがここを訪れた。

警察発表 1956年12月、バス乗車ボイコット運動は勝利とともに終わった。市当局は、以後黒人はどこでも好きな席に座ることができると告げた。
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私には夢がある
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、モンゴメリー改善協会の会長に選出される前にこの街へ移り住み、その天賦の弁論術でNAACPの集会に興奮を巻き起こしていた。ローザ・パークスの一件で公民権運動の重要人物となり、暴力によらない市民的不服従の方針を取ったことで世界から注目を浴びるようになる。キングが聴衆を魅了する弁舌力を発揮した最も有名な例は、抗議デモ「ワシントン大行進」の一環で1963年8月28日におこなった、「私には夢がある」という演説だ。

出典:書籍『逆境だらけの人類史 英雄たちのあっぱれな決断』

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