どん底の世界恐慌に立ち向かった、大統領ルーズベルトの決断

歴史の中の「逆境を跳ね返した決断」(4):フランクリン・D・ルーズベルト

2020.05.23
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 世界恐慌の始まりに関する解説は、解説しようとする経済学者の数だけ存在する。それは、2008年に起こった金融危機の状況に似ている。経済学者は、それぞれ独自の見解に沿った結論に達することが多いので、起こったことについての認識は、私たちのそれと大差ないように思われる。

 当時の経済学者のなかには、国による経済への大幅介入を支持する者もいる一方で、それとは真逆の対応を求める者もいた。つまり公共支出を削減し、経済における政府の役割を減じて、市場の自律に委ねよという主張だ。もし、世界恐慌への取り組み方について合意がほとんどなされていなかったなら、その結果は誰の目にも明らかだった。

ウォール街大暴落
「ウォール街大暴落」として知られる株価大暴落が始まったのは、1929年10月24日のことである。投資家たちのパニック売りは、さらなる株価暴落を招き、10月29日(いわゆるブラックチューズデー)には、株式市場は完全に崩壊した。壊滅的な株価崩落の結果、銀行は数百万ドルの損失を出し、企業倒産が相次いだ。失業者が急増し、人々は物を買うことをやめた。そして不況、貧困、窮乏は、アメリカ全土はおろか世界各地に波及していった。

絶望的な貧困

 1932~33年の冬は、多くの人にとって絶望的な季節となった。失業者やホームレスが至る所に見られ、アメリカでは、掘っ立て小屋の立ち並ぶ集落(いわゆる「フーバービル」)が、多くの町や都市の郊外に突如出現した。子どもたちは、靴なしで暮らし、それどころか十分な食べ物さえ手に入れられなかった。失業率は25パーセント近くまで上昇し、1300万人が職にあぶれ、工業生産高は1929年の暴落以来45パーセントも下落した。

 さらに追い討ちをかけるように、アメリカの農業の中心地に「ダストボウル」という砂嵐が襲いかかった。異常な乾燥と、環境に合わない農耕法が相まって、中西部の広い地域で巨大な砂塵嵐がたびたび発生。かつては豊かだった農地の表土を吹き飛ばしていった。

ダストボウル 1935年4月にテキサス州ストラトフォードで発生した砂塵嵐。その原因は、乾燥気象と強風、環境に合わない農耕法だった。
[画像のクリックで拡大表示]

百日議会

 一方ホワイトハウスでは、膨大な問題がルーズベルトを待っていた。彼が解決策を見いだす試みにおいて、イデオロギー的政策を追求しなかったことは称賛に値する(そもそも追い求めるイデオロギーを持ち合わせていなかったと論じる者もいる)。ルーズベルトはむしろ、うまくいく可能性があるかどうかを基準に政策を立て、誰の発案であるかは問わなかった。顧問団「ブレーントラスト」は、銀行制度や労働市場の改革法を提案した。そのメンバーには、ルーズベルト政権で国務次官補を務めたレイモンド・モーリー、米国初の女性労働長官を務めたフランシス・パーキンスらがいた。

 ルーズベルトは、いわゆる「百日議会」で矢継ぎ早に法案を提出し、民主党と共和党から等しく支持を受けて、すべての法案を成立させた。それ以来、アメリカのメディアには、「就任後最初の100日間が経過してから、新大統領の仕事ぶりを査定する」という伝統が定着している。

次ページ:第一次ニューディール

おすすめ関連書籍

逆境だらけの人類史

英雄たちのあっぱれな決断

窮地に陥ったり、不遇や失敗にまみれたりした人たちが、劇的な逆転を遂げるに至る決断を47例集めた、歴史読み物。

定価:本体2,600円+税

  • このエントリーをはてなブックマークに追加