2017年、マレーシアの野生動物リハビリセンターを訪れた時のチャールズ皇太子。新型コロナウイルス感染症COVID-19の検査で陽性反応が出たと発表された。過去にも、感染症の世界的流行に巻き込まれた英国の王族は多く、チャールズ皇太子もその1人に加わった。(PHOTOGRAPH BY CHRIS JACKSON, GETTY)
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 英国の王位継承者であるウェールズ公チャールズ皇太子が、新型コロナウイルスの検査で陽性となった。英国王室の発表によると、チャールズ皇太子は軽症で、現在スコットランドのバルモラル城で妻のカミラ夫人と共に隔離された生活を送っているという。夫人は検査で陰性だった。

 英国王室で新型コロナの陽性反応が出たのは、チャールズ皇太子が初めてだ。しかし、歴史を振り返ると、数多くの王族がパンデミック(世界的な大流行)に巻き込まれてきた。14世紀の黒死病から20世紀のスペインかぜまで、命に関わる病気は、王族かどうかに関係なく襲いかかる。なかには、それによって歴史の流れが変わったこともあった。

ペスト(黒死病)

 人類史上、屈指の被害を及ぼしてきた感染症がペストだ。西暦542年ごろから発生していたが、最も有名なパンデミックは1334年に始まり、「黒死病」と呼ばれた。アジアと欧州で猛威を振るい、死者は2500万人にも上った。疫病は容赦なく蔓延、王族も例外ではなかった。(参考記事:「ペスト医師、奇妙な「くちばしマスク」の理由」

 1327年に即位しイングランド王となったエドワード3世は、英国の王族として初めて黒死病で近親者を失った。1348年、カスティーリャ王ペドロ1世との結婚のためスペインに向かっていた14歳の娘ジョーンが、旅の途中でペストにかかって亡くなった。2年後、ペドロ1世の父アルフォンソ11世も、ジブラルタルの町をムーア人から取り返そうと包囲しているさなか、ペストで命を落とした。

 ペストの勢いは止まず、英国にも大打撃を与えた。1394年、エドワード3世の孫息子である国王リチャード2世は、妻の「アン・オブ・ボヘミア」をペストで失った。彼女は優しい人柄で知られ、「よき王妃アン」と呼ばれた女性だった。リチャード2世は王妃を深く愛し、彼女が息絶えたシーン宮殿を取り壊すよう命じたほどだった。(参考記事:「修道院から48体の遺骨、14世紀ペストの犠牲者」

 近年の調査によれば、その100年近く後にもペストが英国王室を襲っていたようだ。1492年、エドワード4世の王妃エリザベス・ウッドビルが亡くなったが、葬り方は不思議なほど簡素だった。ひつぎに付き添ったのはたった5人で、何の儀式もせず埋葬されたのだ。2019年、英国立公文書館で500年前の手紙が発見され、そこにはエリザベスの死因としてペストが指摘されていた。これにより、彼女の埋葬が極めてささやかだったことの説明がつくかもしれない。

天然痘

 天然痘は、ペストよりもさらに恐ろしかった。感染力が強く、患者の全身に膿疱性の発疹が出た。ヨーロッパでは古くから発生していたが、歴史を左右したといえるのが16世紀の流行だ。(参考記事:「天然痘の起源に新説、ミイラのDNA分析で判明」

 1552年、国王エドワード6世は、14歳の若さで天然痘とはしかに倒れた。すぐに回復したものの、翌年、少年王は結核で亡くなった。免疫機能が損なわれたためと考えられている。これにより男性の王位継承者がいなくなったため、異母姉のメアリー1世が即位。1558年にメアリーが死去すると、王位に就いたのが女王エリザベス1世だった。彼女は、最も有名な天然痘患者かもしれない。

ギャラリー:チャールズ皇太子、誕生から現在まで 写真19点(写真クリックでギャラリーページへ)
洗礼式で第1子のチャールズ皇太子を抱く、即位前のエリザベス2世。1948年撮影。(PHOTOGRAPH FROM MIRRORPIX, GETTY)

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