ソラスタルジア ~失われゆく故郷

慣れ親しんだ土地が急速に消えていく喪失感

2020.04.03
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シベリアとアラスカの間に広がるチュコト海の夏。2019年、この海の海氷の平均面積は、人工衛星の観測が始まった1978年以来、最小となった。海氷が消え、沿岸部の村々では伝統の狩りができなくなっている。(PHOTOGRAPHS BY PETE MULLER)

愛する場所の面影が消えていく。そのとき私たちが感じる心の痛みはどこかホームシックに似ている。

 のどかな風景は一変した。ここはオーストラリア東部のハンターバレー。かつてはアルファルファの畑と馬の牧場、ブドウ園が広がる田園地帯だったが、今では露天掘りの炭鉱がそこかしこに見られる。石炭の採掘も昔から一帯に収入をもたらしてはきたが、世界的な需要の拡大と新しい技術の導入が拍車をかけ、ある時期を境に次々と新しい炭鉱が開かれた。

 環境問題を研究する大学教授のグレン・アルブレヒトは、石炭採掘が地域住民の心に及ぼす影響に関心をもっていた。2000年代初め頃から彼のオフィスでは、話を聞いてもらいたいという住民からの電話が鳴るようになった。

 大地を揺るがす発破の衝撃や、耳をつんざく採掘機械の音、夜間に現場を照らす不気味な照明、家の外だけでなく中にも入り込み、真っ黒に覆い尽くす煤—彼らは空気や飲み水の汚染に不安を募らせながらも、故郷を一変させたこの破壊行為を止められない無力さを感じていた。

オーストラリア東部ハンターバレーに複数ある巨大炭鉱の一つ、マウント・ソーレイ・ワークワース炭鉱。365日休みなく稼働し、約1300人の雇用を生み出す。オーナーは規模の拡大を検討しているが、住民の多くは炭鉱の存在を憂えている。ある住民は「過去を奪われただけでなく、未来も奪われてしまった気がします」と語る。(PHOTOGRAPHS BY PETE MULLER)

 住民のなかには訴訟を起こして石炭の採掘に歯止めをかけようとする者もいたが、多くの人は炭鉱がもたらす仕事を必要としていた。結局、資金力の豊富な炭鉱会社のなすがままになり、土地は荒れ果てた。

 炭鉱が拡大するにつれ、アルブレヒトは一部の住民たちが抱く感情のなかに、ある共通点を見つけた。彼らは自分たちが不安に駆られる原因が炭鉱であるとわかっているのに、その気持ちを的確に表す言葉を見つけられずにいたのだ。「彼らのなかで故郷を離れた者は誰一人としていなかったのに、まるでホームシックにかかっているかのようでした」とアルブレヒトは言う。

 開発が進むにつれて、この土地がもたらしてくれていた安らぎがどんどん失われていく。アルブレヒトはこうした感情を「solastalgia」と名づけ、「故郷がもたらす安堵感が失われるときの心の痛み」と定義した。ソラスタルジアは、英語のsolace(安堵)とalgia(痛み)を合わせた造語で、solaceにはその語源から「孤独感」という意味も暗に含まれている。

ロリノ ロシア

「ここでは野菜を育てることができません。私たちは海の恵みだけで生きてきました。祖先は温暖化も寒冷化も経験してきましたが、今本当は何が起きているか、わからないのです」
――アレクセイ・オットイ、ハンター

ロリノ近くの海で、セイウチに向かってもりを放つスタニスラフ・ビクビトゥケ。かつて先住民チュクチのハンターは犬ぞりで移動したが、海氷が薄くなり、冬でもボートを使うようになった。彼らにとって狩猟は、民族のアイデンティティーの根幹だ。「年長者が若い者に代々教えていくものなのです」とエドアルド・リフィルギンは言う。(PHOTOGRAPHS BY PETE MULLER)
イナ・ティネリナ(左)の家族が、ほかの土地から仕入れた野菜で作ったスープとクジラの肉を食べる。チュクチの人々の食事は海生哺乳類の肉が大半を占め、住民の半数以上は海のものしか食べない。地元の料理人は「私たちはハンターがいなければ生きていけません」と話す。(PHOTOGRAPHS BY PETE MULLER)
ロリノ近くの海岸でコククジラを解体するチュクチのハンターたち。肉は住民たちに分配される。彼らは旧ソ連が崩壊したときなど、食料が手に入りにくかった時代もこうした狩りでしのいできた。だが、気候変動で海氷が減れば、狩りの獲物はたちまち姿を消すおそれがある。動物にとっても、それを食べる人間にとっても、海氷は最後のとりでだ。(PHOTOGRAPHS BY PETE MULLER)

次ページ:共有されたソラスタルジアという概念

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