国際女性デー、ルーツは思った以上に過激だった

3月8日は27カ国で国民の祝日に、ロシア革命のきっかけにもなっていた

2020.03.08
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
国際女性デーには世界中の女性が平等な権利を求めて街頭で抗議行動を繰り広げる。写真はバルセロナのデモ参加者。(PHOTOGRAPH BY PAU BARRENA, AFP/GETTY)
[画像のクリックで拡大表示]

 毎年3月8日は国際女性デーだ。世界の人々はこの日、人口の約半数を占める女性たちの功績を改めて称える。最近では、セレブやブランドが女性を称える日のようになっているが、そのルーツは思いのほか過激である。国際女性デーは、今から100年以上前に、女性の平等な権利を希求する社会主義運動のリーダーによって提唱された。

 1909年、米国では労働運動と女性参政権運動が高まっていた。ロシアからの難民で、労働組合を組織し、ジャーナリストでもあったアメリカ社会党女性委員会のテレサ・マルキールは、こうした運動において女性がより積極的な役割を担えるようにしたいと願い、2月の最終日曜日を「全米女性デー」と定めると宣言した。同年2月23日にはニューヨークの社会主義者約2000人がマンハッタンに集結し、女性の平等と参政権を求める会合に参加した。

 3年後の1912年、活動家のメタ・L・スターンは次のように回想している。「私たちの全米女性デーは大成功をおさめ、女性デーは社会主義者の毎年の記念日として広く受け入れられるようになった」。彼女は、「女性デーはメーデーとともに、賃金奴隷制と性的奴隷制の廃止、男性も女性も、より自由に、よりよく、より幸福に生きられるようにしようという、新しい希望と新しい理想のための日である」と説明している。

 この記念日はヨーロッパの社会主義者も刺激した。ドイツの労働組合の組織者クララ・ツェトキンの提案を受け、ヨーロッパの人々は1911年3月8日を最初の国際女性デーに定めた。全米女性デーは2月だったが、彼らはパリ・コミューン(短期間だけフランスを支配した社会主義者の革命政権)40周年を意識して3月を選んだ。女性たちは行進とスピーチによりこの日を祝った。

社会主義者クララ・ツェトキンは、1870年代から女性の権利の向上と普通選挙を求める運動を展開していた。彼女の運動をきっかけにヨーロッパでも1911年から女性デーが始まった。(PHOTOGRAPH BY ULLSTEIN BILD, GETTY)
[画像のクリックで拡大表示]

 国際女性デーはそれから数年で、女性たちが声を上げ、第一次世界大戦に抗議するための強力な手段になった。歴史家テンマ・カプランは、戦時中に記念式典に参加した女性たちは、「公的および一般の政治的リーダーたちがあまり役に立たない私的な領域で、妻や母や主婦としての自らの権利を宣言した」と解説している。(参考記事:「人権弁護士にむち打ちも、男尊社会と闘う女性たち」

 1917年3月には、国際女性デーの祝典が革命のきっかけになった。ロシアのペトログラードで数万人の女性がこの記念日を祝う(と同時に第一次世界大戦の終結を求め、食料不足に抗議する)デモを行っていたところ、それが大規模なストライキに変わったのだ。数時間もしないうちに、男性を含む10万人の労働者が職場を離れてデモに加わった。

次ページ:数日後には15万人の労働者がストライキに参加した

ここから先は「ナショナル ジオグラフィック日本版サイト」の
会員の方(登録は無料のみ、ご利用いただけます。

会員登録(無料)のメリット

  • 1ナショジオ日本版Webの
    無料会員向け記事が読める
  • 2美しい写真と記事を
    メールマガジンでお届け

おすすめ関連書籍

Women ここにいる私

あらゆる場所の女性たちの、思いもかけない生き方

130年におよぶ時代・場所・境遇を横断して、驚くほど多様な女性像を描きだす。〔日本版25周年記念出版〕

定価:本体3,600円+税

  • このエントリーをはてなブックマークに追加