第1回から読む→「『世界初の快挙』、体験談は多くの矛盾を含んでいた」
オブレイディ氏が才能あるアスリートであり、これまでも多くの困難に挑み続けてきたことは間違いない。米エール大学で水泳選手として活躍し、22歳で卒業すると、ペンキ塗りのアルバイトで貯めた金を使って1年間かけて世界を旅した。タイのビーチで火のついた縄で縄跳びをやった時に足に大やけどを負い、1カ月入院した。本のなかで、この時医者から普通に歩くことはできないと宣告されたことを明かしている。
だがそれから2年もたたないうちに、オブレイディ氏はシカゴトライアスロンのアマチュア部門で優勝した。その後自分の能力の限界を試すため、商品先物取引のトレーダーを辞めて6年間をプロのトライアスロン選手としての訓練に費やした。
2016年、野心に燃えたオブレイディ氏はプロの冒険家としての新たなキャリアをスタートさせ、世界最速で「探検家グランドスラム(最終緯度)」を達成した。探検家グランドスラムは、7大陸最高峰のすべてに登頂し、北極点と南極点を踏破するという挑戦だ(最終緯度の但し書きがつく場合は、極地で緯度89度から極点である90度までの111キロのみを踏破した場合)。オブレイディ氏の最速記録は、今も破られていない。(参考記事:「型破り登山家、1カ月で6つの8000m峰に登頂成功」)
このグランドスラム挑戦中に、オブレイディ氏は極地探検の世界に引き込まれていった。初めて南極を旅し、ガイド付きで南極点到達を目指していたときに、ワースリー氏の挑戦を知った。ちょうどそのとき、ワースリー氏はあの運命の南極大陸横断に挑戦している最中だった。「まだ誰も成功していない『世界初』があることを知って、心を奪われました」と、オブレイディ氏はナショナル ジオグラフィックに対して語った。
次にオブレイディ氏は、北極点行きのスキーツアーに参加した。その時ガイドを務めたベルギー人のディクシー・ダンセルコーアー氏は、オブレイディ氏のことを「威圧的で野心に燃えた若者」だったと表現する。グランドスラムを達成させることで頭がいっぱいだったオブレイディ氏は、北極の雄大な自然を心から楽しみたい他のツアー客との間でしばしばトラブルを起こした。
結局、オブレイディ氏は途中でエリック・ラーセン氏が率いる別のグループに乗り換えたのだが、その時の強引なやり方に、ラーセン氏も他のガイドもあきれかえったという。「あまりにひどくて、今でも語り草になっていますよ」
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