過激な意見を持つマラーは、しばしば逃亡生活を送った。彼は敵から逃れるために何年も屋根裏やパリの下水道に隠れて暮らした。ついに定住できる家を持ち、悪化する皮膚病の治療を受けられるようになったのは1793年のこと。最後の数カ月はほとんど外出せず、執筆活動と、水疱だらけの皮膚の痒みを鎮めるために長時間の入浴だけをして過ごした。彼は浴槽の中で仕事をし、友人や客人と面会した。
1793年7月13日、入浴しながら新聞に注釈をつけていたマラーのところに、ジロンド派の支持者シャルロット・コルデーが乱入し、その胸にキッチンナイフを突き刺した。彼はあっという間に失血死した。劇的な暗殺により、マラーはたちまち革命の殉教者となった。彼の血に染まった新聞紙は、妹によって注意深く保存され、今日まで残っている。
人間以外の生物のDNA
フランスの法医学者フィリップ・シャルリエ氏は、この血液に含まれるDNAが、マラーの皮膚病について手がかりを与えてくれるのではないかと考えた。「ヒトラーは本当に死んだのか?」「リチャード1世の本当の死因は?」などの歴史の謎を調査したことで有名な人物だ。氏はスペインの古遺伝学者カルレス・ラルエサ=フォックス氏に連絡して、新聞紙に染み込んだマラーの血液中のDNAを分析することは可能だろうかと尋ねた。(参考記事:「【動画】マグダラのマリアの顔を復元、真贋不明」)
貴重な新聞紙を破損することなくサンプルを抽出するため、ラルエサ=フォックス氏らは、現代の犯罪捜査に用いられるタイプの綿棒を使って血液を採取した。
すると、マラー本人のDNA分析から、祖先にフランス人とイタリア人がいた可能性が高いことが確かめられた。だがいっそう興味をそそったのは、人間以外の生物のDNAだった。研究チームは、新聞紙の血液付着部分から数種類の病原体のDNAを検出した。結果、これまでマラーの苦悩の原因と推測されていた多くの診断が除外されることになった。
政敵が言っていたように、マラーは梅毒にかかっていたのか? 違う。ハンセン病でも、口腔カンジダ症でも、疥癬(かいせん)でもなかった。マラーを苦しめたのは、おそらくマラセチア・レストリクタ(Malassezia restricta)という真菌(カビ)だった。(参考記事:「コウモリを大量死させる恐怖のカビ、弱点が判明」)
もちろん、この研究には限界がある。このDNAは生前のマラーから得られたものではなく、長い歳月の間に新聞紙に触れた人により汚染された可能性もあるからだ。
マラーの病気が真菌感染症だとわかっていたとしても(あるいは、微小な病原体が病気を起こすという理論が知られていたとしても)、当時の人々には治療法はわからなかっただろう。
ラルエサ=フォックス氏は、現代の皮膚科医にも治せなかったかもしれないと言う。歴史的記述によると、マラーの真菌感染症や、そのせいで免疫力が低下して起きた二次感染症は、現代ではありえないほどひどい状態になっていたと考えられるからだ。「おそらく経験を積んだ皮膚科医でさえ、そこまで重症化した症例を見たことはないでしょう」