解説:カタルーニャ独立運動の背景にある歴史

スペインでいちばん豊かな州は、なぜ独立を望むのか

2019.11.11
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悪魔の衣装をまとい、熊手の先に花火を付けて振り回す伝統的な火祭りコレフォックのパフォーマー。2017年9月、カタルーニャ独立派のデモで撮影。翌10月、カタルーニャ州議会が独立を宣言した。(PHOTOGRAPH BY DAVID RAMOS, GETTY)
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 スペイン北東部のカタルーニャは独自の言語、文化を持つ自治州。人気の観光地であり、経済的にも豊かだ。しかし、近年続くスペインからの独立運動は、カタルーニャが歩んできた特有の歴史を反映している。

 現在のカタルーニャで人類が暮らし始めたのは先史時代、イベリア人と呼ばれる人々が社会が築いた。紀元前6世紀にギリシャの入植者が到来し、紀元前220年ごろ、ローマ帝国がこの地域を占領した。

 ローマの統治によって、農業やインフラが発達し、ラテン語が繁栄。ローマが建設したバルチーノはカタルーニャ最大の都市に発展し、その後、現在の州都バルセロナとなった。タラコ(現在のタラゴナ)は当時、ローマ帝国で最も豊かな都市の一つだった。(参考記事:「古代南欧で謎の「男性大量流入」、DNA調査で判明」

 西暦5世紀、ローマ帝国が衰退し、カタルーニャは不安定な状態に陥った。まず西ゴート王国、次にウマイヤ朝による支配ののち、801年、フランク王国がバルセロナを征服。カタルーニャはスペイン辺境領の一部となり、カール大帝のカロリング帝国やムーア人勢力に対する緩衝地帯の役割を果たした。

 カロリング帝国の国境地帯は徐々に力を増し、独自性を強めていった。12世紀までにはカタルーニャという名前で呼ばれるようになり、カタルーニャ語最古の文献もほぼ同時期に記されたものだ。中世になると、カタルーニャ・アラゴン連合王国の一部として、強大な海軍力を手にする。

 1469年、アラゴン王フェルナンド2世がカスティーリャ王女イサベル1世と結婚。スペインは統一され、カタルーニャはその一部となった。当初、カタルーニャは独立性を維持していたものの、最終的にスペインに完全に組み込まれた。この出来事が、19世紀に入って始まる激しい分離独立運動へとつながる。

【参考動画】命懸けの伝統、カタルーニャで受け継がれてきた人間の塔
カタルーニャはスペイン政府に統治されているが、人々は何世紀にもわたり、独立王国を築いてきた。さまざまな年代の人々が積み重なり、カステイ(城)と呼ばれる人間の塔をつくり上げる。砂岩や花こう岩ではなく人の肉と骨でできた要塞(ようさい)だが、多くのカタルーニャ人がその強固な土台に一体感を見いだしている。(解説は英語です)

 1931年、スペインが共和国になり、カタルーニャは自治政府の設置を認められた。しかし、スペイン内戦で敗者側についていたため、内戦の終結後、ファシストの軍人フランシスコ・フランコに再び自治権を奪われ、カタルーニャ語や独自の慣習を制限された。(参考記事:「【動画】湖底に沈んだゴーストタウンが出現」

次ページ:フランコ独裁政権以降

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