バスクってどんなところ? 独自の文化と歴史

カタルーニャ独立問題が再燃する中、バスクの歴史は解決のヒントになるか

2019.12.08
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バスクの伝統の踊り手たち。1950年代のナショナル ジオグラフィック誌に掲載された。(PHOTOGRAPH BY JUSTIN LOCKE, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
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 スペイン北部のバスク自治州を旅すると、海岸の絶景や静かな農村の風景を楽しめる。そしてもちろん、バスクの人々にも出会えるだろう。その歴史は彼らの誇りだけではなく、抑圧と苦闘に満ちている。(参考記事:「10月にこそ訪れてみたい海外の旅先 厳選5カ所」

 バスク民族は、古くからフランス南西部とスペイン北東部にまたがる地域に暮らしてきた。この辺りは他の地域からはバスクと呼ばれ、彼ら自身はエウスカル・エリア(Euskal Herria)と呼ぶ。「エウスカル」はバスク語を意味する。バスク語はフランス語ともスペイン語とも、それどころか他のどんな言語とも、言語学的にはっきりと異なる。現在ではバスク人のおよそ28%がバスク語を話しているが、この言語がどこで生まれ、どう発達したのか、なぜ他の言語と大きく違うのか、正確にはわかっていない。バスク語には少なくとも6つの方言があるが、バスク人の多くは1960年代に発展した標準バスク語を話している。

フランス領ピレネー山脈の雲に包まれた山上で、バスク人の羊飼いが数百頭のヒツジとともに歩く。(PHOTOGRAPH BY JONATHAN BLAIR, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
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 近年の研究で、バスク人は新石器時代の農耕民の子孫だと指摘されている。西ピレネー山脈から海岸線にかけて暮らすという地理的な条件によって、ヨーロッパの他の集団から遺伝的に孤立したのだという。暮らすには厳しい地形が多かったことから、他の地域から隔絶し、それがバスクのたどる道のりを決定づける一因となった。例えば、紀元前196年にローマ人がこの地域に侵入したとき、バスク人は今のスペイン北部に暮らしていたが、ローマにも、その後やってきた勢力にも征服されることはなかった。(参考記事:「ピレネーの峡谷に潜む、美しい石造りの村」

 紀元824年ごろから、バスク人が多数を占める中世国家、ナバラ王国ができ、代々の君主が治めた。1515年、ナバラ王国の大部分がカスティーリャ王権下に編入され、現在のスペインとなる領域の一部になった。その後比較的独立を保った期間ののち、1839年にバスクの自治はマドリードのスペイン政府によって縮小され、後に撤廃された。やがてバスク民族主義運動が高まり、政治的団結を主張し、国として分離することを強く訴え始めた。1930年代のスペイン内戦中、フランシスコ・フランコはバスク語の使用を禁じ、バスク人たちの権利を奪い、バスクの都市ゲルニカの破壊を命じた。

次ページ:バスクの例は、カタルーニャ独立問題の解決策になり得るか?

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