クルド人はどんな人たち? 4カ国に暮らす理由

19年秋、国を持たない世界最大の民族の居住地はとりわけ政情不安になっている

2019.10.24
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イラク北東部のキルクークの近くでバレーボールをする、クルド人軍事組織「ペシュメルガ」の兵士。クルド軍は、2014年にイラクの都市の占領を開始した過激派組織IS(イスラム国)と戦った。(PHOTOGRAPH BY YURI KOZYREV, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

 クルディスタンがどこかと聞かれても、地図上で場所を示せない人がほとんどだろう。クルディスタンは独立した国家ではないからだ。だが、約3千万人の民族、クルド人にとって、クルディスタンはリアルな存在だ。

 クルディスタンは、トルコ、イラン、イラク、シリアの4カ国にまたがる地域。現在、世界でもとりわけ政情不安な地域で、ここで暮らすクルド人は「国を持たない世界最大の民族」と言える。(参考記事:「イラクのクルド人、独立はあるのか」

 中東に住んでいたことを除けば、クルド人がどんなルーツをもつのかは、学者やクルド系の人々の間でも意見が一致しない。クルド人が共通の宗教を信じているわけでもない。大半はスンニ派イスラム教徒だが、他の宗教の信者もいる。

 はっきりしていることは、クルド人が民族としての独自性と共通の言語を持つことだ。この共通の特徴が生まれたのは中世頃である。それ以来、クルド人は現在のイラン、イラク、シリア、トルコの歴史に関わってきた。

イラク北部スライマニ大学の卒業式に参加するクルド人の若者たち。 伝統的な民俗衣装と西洋の服をミックスしている。(PHOTOGRAPH BY YURI KOZYREV, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

 クルド人はこの地域で繁栄したが、16世紀、オスマン帝国がクルド人の居住地の大半を占領したことで、土地を失う。さらに第1次世界大戦でオスマン帝国が破れると、クルド人も打撃を受けた。

 戦後の1920年のセーヴル条約では、オスマン帝国が分割され、連合国はクルディスタンの独立を認めた。これは高まりつつあったクルド民族主義運動の勝利であったが、セーヴル条約は破棄され、批准されることはなかった。結局、トルコは連合国と再交渉を行い、1923年に新たに結ばれたローザンヌ条約によりクルディスタンの自治計画は廃止される。その後もクルド人国家の樹立に向けた試みはあったが、成功していない。

 トルコでは、クルド人は最大の少数民族であるが、国からクルド語の禁止などの弾圧を長年にわたって受けてきた。これに対して、激しい分離独立運動とトルコ軍との衝突が今も続いている。1984年から1999年のクルド・トルコ紛争では4万人を超える人びとが殺されたが、その大半はクルド人の民間人である。(参考記事:「2016年3月号 クルド人 踏みにじられる未来」

イラク北部の戦線から3時間もかからない場所でピクニックをするクルド人の家族と、その手前で祈る男性。 (PHOTOGRAPH BY YURI KOZYREV, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

次ページ:国を求めて苦闘する人々

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