11月の第4木曜日に米国で盛大に祝われる感謝祭(サンクスギビング・デー)。実はカナダにも同じ祝日があるが、日付やルーツなど違っている点も多いという。
米国の感謝祭のルーツは、英国からやってきた入植者「ピルグリム・ファーザーズ」が1621年に最初の収穫を祝ったこととされる。現在は、七面鳥やカボチャのパイが振る舞われることでも知られている。(参考記事:「植民地建設当時のアメリカ」)
カナダの感謝祭は少し違う。日付は10月の第2月曜日と、米国より1カ月半ほど早い。そのルーツも、英国からの入植者たちが米国で収穫を祝った1621年より40年以上も早く、16世紀までさかのぼることができる。
カナダの感謝祭の始まりは1578年。北西航路を探して英国を出港した探検家、サー・マーティン・フロビッシャーの一行が、ヌナブト(カナダ領土の最北端)にたどり着いたあと、集まって食事をしたときとされる。ビスケットやコンビーフ、マッシーピーと呼ばれる豆料理が振る舞われた祝宴だった。(参考記事:「北極探検で沈んだ19世紀の軍艦、驚きの内部を公開」)
彼らは、英国国教会の礼拝も行った。牧師は説教のなかで、「危険極まりない場所で、思いがけず助かった奇跡を神に深く感謝するようにいざなった」という。
生き延びた入植者たちの宴
米国の先住民もカナダの先住民も、はるか昔から秋の収穫を祝ってきた。カナダ本土に入植した白人も、それに従おうとした。
フランスからカナダへの入植は苦難の連続だった。なかでも厳しかったのは、1604年にファンディ湾のセント・クロア島で壊血病が流行したときだ。入植者は警告を無視して前進を続けた結果、氷に閉じ込められ、数カ月間も島で孤立することになった。カナダの先住民に救われるまでに、半数が壊血病で死亡していた。(参考記事:「大航海時代の船乗りを震え上がらせた壊血病」)
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