オランダ、アムステルダムにある父親所有の倉庫に、2年以上隠れ住んでいたアンネ・フランクほか8人は、1944年8月4日、ナチスドイツとオランダ当局によって発見された。誰が、あるいは何が原因で、彼らの居場所が露呈したのか。75年たった今も、調査は続けられている。
現在、歴史家やデータサイエンティスト、さらには未解決事件を扱う法医学者のチームまでが、新たなテクノロジーを駆使して、密告者を特定するための調査を進めている。一方で、フランクが発見されたのは偶然だったのではないかとする意見もある。
『アンネの日記』として知られる、アンネ・フランクが13歳から15歳までつけていた日記は、ホロコースト(ナチスによるユダヤ人の大量虐殺)にまつわる文章としては最も広く読まれている。オランダの人々にとっては、ごく普通の市民が命を賭して困っている人たちを助けるこの物語は、占領下のオランダを描いた最も卓越した作品なのである。
しかし、アンネが書いた物語には、オランダがナチスドイツと結んでいた共謀的な関係については触れられていない。オランダ系ユダヤ人は、そのうち8割が大戦中に殺されており、この割合はポーランドについで2番目に高い。(参考記事:「ヒトラーが最後の日々を過ごした地下壕 ドイツ・ベルリン」)
「オランダは英雄的行為を自分たちの誇りとしてきました」と語るのは、アムステルダムにあるユダヤ歴史博物館とユダヤ人文化地区の最高責任者、エミール・スフレイヴェル氏だ。「自分たちが何より加害者であり、傍観者であることを受け入れるのには、まるまる一世代かかりました」
長い年月の間に、30人以上の人々が、アンネとその友人や家族を裏切ったのではないかとの疑いをかけられてきた。(参考記事:「なぜ人は残虐な行為と知りながら従ってしまうのか」)



























