「ウルヴァリン」の死
2018年、カナダ政府は新たな漁業禁止海域や新しい航路、船の制限速度を設けた。するとその年、タイセイヨウセミクジラの死は3頭にとどまり、カナダでは1頭も死ななかった。新たに子どもも生まれなかったが、死亡率が減少したことで関係者らは胸をなでおろした。
2019年1月には、米ジョージア州とフロリダ州沖の繁殖海域で7頭の子クジラ誕生といううれしいニュースもあった。ところが、その後状況は再び暗転する。
6月4日、セントローレンス湾上空を飛行していた調査機が、血の海のなかで浮かんでいる「ウルヴァリン」という名の9歳のセミクジラを発見した。ウルヴァリンは幼いころ船のプロペラに衝突し、背中に3本の傷を負っていた。その傷がアメリカン・コミックのキャラクター「ウルヴァリン」を思わせることから、そう名付けられた。(参考記事:「英語名は“ウルヴァリン”、小さな肉食動物クズリに迫る危機」)
たった9年という短い生涯で、ウルヴァリンはわかっているだけで漁具に3回引っかかったが、いずれも自力で抜け出した。だが、ウルヴァリンは運がいい方だった。漁具が絡まると、体の自由が利かなくなって溺死したり、エサが取れずに餓死することが多い。(参考記事:「【動画】尻尾のないクジラを目撃、増えている?」)
ウルヴァリンの死骸は解剖され、6月9日にその中間結果が発表されたが、まだ死因は特定できていない。詳しい組織検査には、あと数カ月を要するという。
一方、パンクチュエーションの死因は明快だった。
パンクチュエーションの死を無駄にしたくない
シェテイキャンプの浜に引き上げられたパンクチュエーションの背中には1.8メートルの裂傷があり、そこから内臓が飛び出していた。船に衝突したのでなければ、このような傷を負うことはない。腐敗が進んだ死骸は、なぜか甘い香りを伴う刺激臭を放っていた。
研究者と獣医は、パンクチュエーションの解体に取り掛かった。鋭いナイフを使って厚い脂肪を切り開いていく。獣医のピエール・イブ・ダウ氏がクジラの体内に腰まで入ると、防水の胴長はあっという間に血にまみれた。日が高くなるにつれて異臭はますますひどくなっていったが、ダウ氏は気に留める様子もなく作業を続ける。ショベルカーを使って、脂を次々にはがしていく。そのたびに脂身が砂の上にどさりと落ちた。