2019年5月22日、エベレスト山の頂上でポーズをとるニルマル・プルジャ氏。わずかひと月の間に世界の8000メートル峰14座のうち6座の登頂を成功させた。その大胆な登山スタイルでも、登山コミュニティの注目を集めている(写真は同氏のインスタグラム・アカウント @nimsdai に投稿されたもの。本人の許可を得て掲載)(PHOTOGRAPH BY @NIMSDAI PROJECT POSSIBLE)
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 5月24日、ニルマル・プルジャ氏は、故郷ネパールにそびえる世界第5位の高峰、マカルー山への登頂を果たした。これだけを聞いても、たいしたニュースではないと感じるかもしれない。酸素ボンベをかつぎ、シェルパの助けを借り、ごく普通のルートを経由して山に登ったに過ぎないのだから。

 しかし、氏がそのわずか48時間前に、世界第4位の高峰であるローツェ山の山頂に立っていたと聞けば、そのすごさを実感できるだろう。しかもその12時間前には、彼はエベレストの山頂にいたのだ。

 ニムズという通称で知られる彼はこの春、わずかひと月足らずの間に、世界で最も高く、最も危険な6峰(アンナプルナ、ダウラギリ、カンチェンジュンガ、エベレスト、ローツェ、マカルー)の登頂を成功させた。実に華々しい成果だ。しかしニムズ氏にとってこれは、自身のプロジェクトの第1段階を完了したに過ぎない。最終的な目標は、7カ月間で世界の8000メートル峰全14座の登頂を果たすという極めて野心的なものだ。

「3日以内で登頂してみせよう」

 伝説的な登山家ラインホルト・メスナーが、すべての8000メートル峰への登頂を世界で初めて成功させたのは1986年のこと(プロジェクトの開始は1970年)。それからの33年間で、約40人が14峰への登頂を果たしており、その大半が目標達成までに数十年を要している。現在の最速記録は、ポーランド人登山家イェジ・ククチカによる7年11カ月と14日だ。(参考記事:「Webナショジオ・インタビュー 登山家、竹内洋岳」

 ニムズ氏の計画が順調に進めば、10月までに目標を達成することも可能だろう。それが偉業であることは間違いないが、登山界の保守的な派閥からは、ある程度の反発があることも予想される。エリート登山家の中には、彼のスタンドプレー的なスタイルや、世間の注目を集めることを厭わない態度を快く思わない人もいるからだ。

 メスナーや、その後8000メートル峰への登頂を成功させた登山家たちは、どのように山を登ったかということが、登頂したことと同じくらい重要だと主張していた。彼らの多くが酸素ボンベの使用も、ロープをあらかじめ張っておいてもらうことも、シェルパに案内してもらったり、予備の装備を運んでもらったりすることも忌避していた。登山家たるものは高度なルートにチャレンジし、できるかぎり新しいルートを確立すべきだとも考えていた。そして登頂に成功した場合でも、それについてメディアに向かってべらべらとしゃべるのは、はしたない行為とされていた。

 ニムズ氏はしかし、現代の便利なやり方や道具を存分に活用して、まったく悪びれるところがない。彼は酸素ボンベを担がせたシェルパを先に登らせて高地のキャンプで待機させたり、インスタグラムにヒマラヤ登山のドラマチックな写真を次々にアップしたりしている。ニムズ氏はまた、プライドの高さも隠そうとしない。たとえばエベレスト登頂に出発する前には、こんな投稿をしている。

「……僕は世界で最も危険で、登る人もあまりいない3つの山に3週間足らずで登ってみせ、その間、デスゾーンよりも上で予定外の救助活動を2度行った。……そして今度は、エベレスト、ローツェ、マカルーに3日以内で登頂してみせよう。自分が持つ世界記録を破るつもりだ」

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