アル・カトリ中尉は「オマーン・バイ・UTMB」を19位でゴールし、「人生の新たな偉業が増えた」と感想を述べた。民兵たちもレースを楽しんだだろうか? 「おそらく」とアル・カトリ中尉は答えた。「とても長く、とてもつらいレースだと彼らは感じていました」
オマーンでは、ランニングは今も目新しいスポーツだ。1983年に駐在員たちが首都マスカットで立ち上げたランニングクラブ「マスカット・ロード・ランナーズ」が、オマーンにおけるアマチュアランニングの基礎を築いたと考えられている。オマーン人は今もマスカット・ロード・ランナーズを運営し、多くの地元の人々が参加している。年1度の「マスカット・マラソン」にも、オマーン人の出場者が年々増え、その中には女性のランナーもいる。 (参考記事:「世界のおやつ探検隊 オマーンのお菓子」)
その一人が41歳の公務員ナディラ・アル・ハーシー氏だ。アル・ハーシー氏にとっては、仕事や家事の重圧から解放されることがランニングの魅力だ。「走り始めたとき、これまでにない感覚が湧いてきました。走り始めると、すべてから解放され、自由を感じることができます」
アル・ハーシー氏はすでにマスカット・マラソンを完走しているが、今回の「オマーン・バイ・UTMB」は90キロ地点で棄権してしまった。「これほど登りが続くと思いませんでした。準備が足りませんでした」。アル・ハーシー氏は棄権したことを悔やむ。「レースを終えられなかったことを思い出すたび、泣きたい気持ちになります」
結局、出場選手415人の半数以上が棄権。岩だらけの地形で永遠に続くアップダウンに屈した者もいれば、山岳レースの経験が足らず、山の崖沿いの小道で脱落した者もいる。
レースを完走した中国人、ガオ・シードン氏は「登り切るたびに叫びました」と振り返る。レースには10人の中国人が出場し、シードン氏ともう1人が完走した。「時々、地獄を走っているような気分になりました」。中国の国旗を掲げゴールするガオ氏の写真がソーシャルメディアに掲載されると、中国のランニングコミュニティーで拡散し話題をさらった。
肉体的にもきつい状況でもオマーンらしい体験ができるよう、「オマーン・バイ・UTMB」の主催者は古代の小道をたどるルートを選んだ。大会責任者を務める元登山家のアンディー・マクナエ氏は、現在は使われていないが、かつて山村を結んでいた道だと説明する。ただ、チェックポイントによっては車などで行くのは難しく、オマーン陸軍のヘリコプターで物資を供給したところもあったと話す。
オマーンの過酷な地形はランナー同士の絆を深めた。20時間以上、休みなく走った後、プロのウルトラランナーとして活躍する米国のジェイソン・シュラーブ氏は、ライバルであるスイスのディエゴ・パゾス氏と手を取り合って優勝テープを切ったのだ。
「ディエゴと私は一緒にゴールしようと決めました。そうしなければ、どちらかは、今後ずっと苦しめられることになるからです」とシュラーブ氏は語る。共に何時間も「地獄を走った」同志としての絆だ。これこそがウルトラマラソンの究極の魅力なのだろう。レース中、脳内に分泌されるエンドルフィンの量、完走の証となるメダル、Facebookで話題になることの価値など消えてしまう。(参考記事:「ランナーズハイは進化の適応」)
2019年のレースの受付はもう始まっている。
おすすめ関連書籍
DNAや脳、生死など“人体”にかかわるテーマにフォーカスしたムックです。 研究の最前線に立つ人たちに取材し、フィールドにも足を運んで人々の声を聞き、ナショジオならではの生の情報を、豊富なビジュアルとともにお伝えします。
定価:本体1,400円+税