奴隷たちがつくり上げた反逆の祝祭

飾り立てた仮面や仮装に隠された本音とは

2019.02.06
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ハイチ
同国で初めてカーニバルが組織されたのは米国に占領されていた1927年。カーニバル参加者たちはハイチ社会が味わってきた苦い経験を浮かび上がらせる。PHOTOGRAPH BY CHARLES FREGER

 米国ルイジアナ州ニューオーリンズで開かれるマルディグラは世界的に有名なカーニバルで、巨大な山車が街を練り歩き、各地から押し寄せた観光客が飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げる。しかしカリブ海の国々には、カーニバルが単なる観光客相手のイベントとなっていない土地もある。それは、芸術や意見交換の場であり、また奴隷として連れてこられた自分たちの祖先であるアフリカ人の文化を誇り高く表現し、地位の向上を訴える場なのだ。

 18世紀の奴隷たちは自分たちの神を崇拝することも、フランス人や英国人の主人が催す四旬節前の仮面舞踏会に参加することも禁じられていた。そこで彼らはアフリカの伝統と習俗を欧州の入植者の祭儀に溶け込ませ、自分たちの祝祭をつくり上げたのだ。

 現在、聖体祭や公現祭、死者の日といったキリスト教が由来の祝祭は、黒人奴隷の子孫が暮らす地域ごとに多彩な様式をもち、場合によっては祭日も異なることがある。

 だが、その祝い方には共通点がある。カラフルで大胆な衣装を身に着けた人物たちが、キリスト教や先住民の視点を融和させ、生気あふれる反逆の祭儀を生み出すのだ。飾り立てた仮面の下に社会的な地位を隠し、お祭り騒ぎのなかで不満を爆発させる。そしてハイチのような土地では、派手な祝祭を背景に、政治や社会の変革を訴えるのだ。

※ナショナル ジオグラフィック2月号「奴隷たちが生んだ反逆の祝祭」では南北米大陸の祝祭に登場するさまざまな仮面や仮装を、8点の写真とともに紹介しています。

文=ジャクリーン・チャールズ/ジャーナリスト 

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