バーチャルな世界に生き続ける、ある女性の物語

「私の遺体を薄く削ってもらいたい」と彼女は言った

2018.12.27
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親しい医学生たちの卒業式に出席したポッター。スピッツァーのプロジェクトに関わったことで、彼女は一部の医学生たちと仲良くなり、昼食に招待したり、プレゼントを贈ったりした。こうしたつながりの効果か、彼女は生きる気力を取り戻した。PHOTOGRAPH BY LYNN JOHNSON

 ポッターはスーザン・クリスティーナ・ヴィッチェルとして、1927年にドイツ東部のライプチヒで生まれた。第2次世界大戦が終わると、彼女は単身でニューヨークに移住。その後、ロングアイランドのゴルフコースで会計係をしていたハリー・ポッターと56年に結婚し、2人の娘を育てた。夫の退職を機に、夫妻はコロラド州デンバーに引っ越した。

 ポッターは痩せていて、タカやワシのような鋭い顔立ちをし、機嫌が悪くなると、淡い青色の目を細めて人をにらみつけた。彼女が話す英語にはドイツ語のアクセントがあった。交通事故がもとで歩くのが困難になったため、移動には電動モーター付きの車椅子を使っていた。

 米コロラド大学のヒューマン・シミュレーション研究所の所長であるビクター・M・スピッツァーと知り合った当時、ポッターは72歳で、何年も前から診察と治療のためにコロラド大学病院に姿を現していた。彼女は身体障害者の権利を主張する運動もしていて、大学の理事会に無理やり車椅子で乱入し、要望書を突きつけたこともあった。

 2000年のある日、スピッツァーの研究室に1本の電話がかかってきた。「スー・ポッターといいます。新聞で人体解剖画像プロジェクトの記事を読みました。自分の遺体を提供したいんです」と彼女は言った。「私の遺体を薄く削ってもらいたいんです」

 ポッターとじかに会ってスピッツァーは驚いた。「車椅子で現れて、自分の遺体をデジタル化してほしいと言いだしたんですから」。スピッツァーは、生きている間もプロジェクトに協力してもらえるかとポッターに尋ねてみた。遺体を単に提供するだけでなく、自分自身のことや人生で学んだことについて教えて欲しいと。

感情移入できる遺体

 スピッツァーは、存命中のポッターの姿をビデオで撮影し、これまでの人生や健康状態、治療歴について彼女に話してもらいたいと考えた。医学生たちを前に語る姿をビデオで記録できれば、学生たちはデジタル化された遺体の切断面を見ながら、脊椎の手術を受けたくなかった理由や、手術に伴う痛み、手術後の生活について語るポッターをビデオで見て聞くことができる。

「医学生たちは、彼女の話を聞きながら、その人の遺体を見ることができるわけです」。スピッツァーはそう説明し、動画や音声によって生前のポッターがより身近に感じられ、彼女の感情の動きが学生たちに伝わると付け加えた。誰かわからない遺体ではなく、スーザン・ポッターが提供してくれる遺体なら、彼女の味わった不満や痛み、失望感に満ちた病気との闘いを伝えることができるだろう。

 スーザン・ポッターは遺体を提供し、バーチャルな世界で永遠に生き続けることに同意し、2015年2月16日、肺炎で亡くなった。身長1.55メートルの遺体は冷凍庫に保管された。それから2年ほど後、スピッツァーは助手とともに冷凍されたポッターの遺体を四つに切断し、長い時間のかかる作業に着手した。

※ナショナル ジオグラフィック1月号「永遠に生き続ける遺体」では、自分の遺体を医学の進歩のために役立ててもらいたいと申し出た、ある女性の物語を紹介します。

文=キャシー・ニューマン/ライター

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