スペイン人は大声で泣き叫んだ

 ここでいう「南海」とは、太平洋のことを指す。アメリカ大陸経由で初めて太平洋に到達した最初の欧州人であるバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアは、1513年、大西洋と太平洋を隔てる狭い陸地を横断した。のちのパナマ地峡である。陸越えのルートは北から南へと進むため、バルボアはこの海を南海と呼んだのだった。

1669年のスペインのデロテロ(地図帳)に収録されている地図。このデロテロは、かつてはロサリオ号から略奪されたものだと考えられていた。地図に描き入れられている航行方向や沖合から見た港の様子は、当時の船乗りにとって計り知れない価値があっただろう。最近の研究では、このデロテロはロサリオ号の襲撃の10年ほど前に、著名な海賊ヘンリー・モーガンが入手したものであることがわかっている。ウィリアム・ハックがこれを参考にした可能性もある。(COURTESY THE HUNTINGTON LIBRARY, SAN MARINO, CALIFORNIA)
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 それから150年がたっても、スペイン人はまだこの海域を支配しており、イングランド人はなんとしてもその分け前を手に入れたいと考えていた。だからこそ、スペインの地図帳(デロテロ)には価値があった。ロサリオ号の船員は乱闘の最中、地図帳を海に投げ入れようとしたが、シャープがこれを確保することに成功した(その詳細な経緯は不明だが、シャープの日誌には、彼がこの地図帳に手をかけると、スペイン人は大声で泣き叫んだとある)。

 ロサリオ号を襲撃した後、シャープ率いる海賊団は太平洋沿岸でさらに船の襲撃を続けてスペインに多大な金銭的損失を与え、25隻の船を破壊し、200人以上を殺害した。ようやく帰路についた彼らは、南に向かって南米大陸の最南端を回り、西洋から来てこの航路をとった最初のイングランド人となった。

海賊バーソロミュー・シャープは、ロンドンの地図製作者ウィリアム・ハックを雇って、略奪したスペインのデロテロを元に地図帳を作らせた。ハックが付け加えたこの地図は、シャープの船が通った南米周辺の航路を示したもので、1687年に製作されてイングランド王チャールズ二世に献上された地図帳に収められている。(COURTESY BRITISH LIBRARY, LONDON, UK/© BRITISH LIBRARY BOARD. ALL RIGHTS RESERVED/BRIDGEMAN IMAGES)
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 1682年にロンドンに戻ったシャープは、やっかいな問題に巻き込まれた。スペイン大使がロサリオ号の船長殺害に大いに腹を立て、シャープを海賊行為で裁判にかけて絞首刑にせよと要求したのだ。裁判では、二人の証人がシャープの犯罪行為に対する説得力のある証言をしたが、驚くべきことに、彼はそれでも無罪放免となった。(参考記事:「映画とは違う? 最後の海賊ブラック・バートの実像」

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