パサック氏によると、警察官であっても、島の周囲8km以内に立ち入ることは法律により禁止されているという。彼はまた、今回の出来事がセンチネル族のトラウマになった可能性を考え、その影響を理解するために人類学者や心理学者に相談しているという。ただ、遺体の回収について、パサック氏は「今は考えていない」と言ったものの、その可能性を完全に否定することはなかった。
パサック氏と米国務省は、現在、今後の対応を協議している。ポートブレアからの情報によると、領事館員がチャウ氏の日誌などの持ち物の返還と死亡診断書の発行を検討しているという。通常、インドの死亡診断書は、身元を特定できる遺体なしでは発行されない。「規則の上ではそうなっています」とパサック氏は言う。「けれどもこのような状況では、現実を考慮する必要があります」
プレゼント投下作戦
インド当局は、1960、70、80年代には、センチネル族を含めたアンダマン諸島の先住部族の「平定」に積極的に取り組んでいた。いわゆる「プレゼント投下」作戦では、舟で島の近くまで行き、先住民への贈り物として、ココナッツ、バナナ、プラスチック製のおもちゃなどを投下した。1991年には、数十人のセンチネル族が非武装で砂浜に出てきて、プレゼントを受け取るために腰まで水に浸かって侵入者を出迎えるまでになった。
この取り組みは、地球の裏側の南米アマゾンで20世紀を通じて続けられてきたことと、概念的によく似ている。アマゾンでも、ブラジル人の偵察者と米国人宣教師が工業製品や栽培作物の魅力を利用してジャングルで暮らす未接触部族を誘惑した。
ブラジルのベレンにあるエミリオ・ゴエルジ博物館の人類学者である米国人のグレン・シェパード氏は、「かつては宣教師が中心となって、アマゾン各地で孤立先住民に接触し、平定、定住を進めましたが、しばしばその結果として部族の消滅や文化的浸食を引き起こしました」と言う。(参考記事:「アマゾンの孤立部族、外界との接触が増える」)
こうした南米の部族と同様、アンダマン諸島の先住民は、接触からまもなく伝染病の蔓延に苦しみ、その社会は崩壊した。1990年代末に弓と矢を置いたジャラワ族は、その後、はしかの大流行を2回経験した。
かつての誇り高き戦士たちは怠け者になって酒に溺れ、その子供たちは、部族を見世物にする観光ガイドから施しを受け、踊りを踊っている始末である。そうしてアンダマン諸島のほかの部族は、人口が激減し、文化も崩壊してしまった。
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