視力が戻らない宇宙飛行士も
脳脊髄液の量が変化すると、別の影響が出る可能性もある。視界がぼやけるのだ。これは、地球に帰ってきた宇宙飛行士によく見られる症状で、最初に疑われた原因は、体液(血液とリンパ液)が頭に上ることだった。NASAの推定では、340日間宇宙に滞在した宇宙飛行士スコット・ケリー氏の場合、足から頭に向かって2リットルほどの体液が移動したという。この影響で宇宙飛行士の顔がむくむことはよくあるが、同じ理由で視力が低下するのかもしれないと科学者は考えていた。(参考記事:「宇宙飛行士の視覚障害の謎解明か、障害は不可避?」)
しかし2016年、原因は体液ではなく脳脊髄液であることが明らかになった。脳内に移動してきて過剰になった脳脊髄液のせいで、眼の裏側の圧力が高まり、眼球が平らに変形し、視神経が外側に押されることが判明した。宇宙飛行士の中には、地球に帰ると重力のおかげで、視覚障害が治る者もいるが、今回の論文で示されたように、地球に帰還すれば、すべての脳脊髄液が元に戻るわけではない。このため、不幸にも視力が戻らない宇宙飛行士もいるが、宇宙滞在による視覚障害の治療法は知られていない。
DNAが変化した!?
2018年、「スコット・ケリー氏のDNAが変化した」という驚くべきニュースが報じられ、話題になった。ケリー氏自身も、この報道に驚いたという。「なんだって? 私のDNAが7%変化した? 知らなかった! この記事で初めて知ったよ」とケリー氏はツイートした。「たぶん良いニュースだ! これでもう双子の兄弟の『マーク・ケリー』と間違われないね」
実際には、スコット氏のDNAが変化したわけではない。もちろん、地球に暮らしていた一卵性双生児のマーク氏のDNAが変化したのでもない。宇宙に滞在したことが、スコット氏の一部の遺伝子の発現に影響を与えたのだ。(参考記事:「火星旅行に大量被曝のリスク」)
DNAは遺伝子を構成するいわば文字列であり、遺伝子は体を作るタンパク質の設計図のようなものだ。実際になんらかの器官が作られたり、なんらかの機能が働いたりするためには、特定の遺伝子が発現しなければならない。宇宙滞在は、とりわけ免疫系、DNAの修復、骨の成長に関する遺伝子の発現に影響を与えるようだ。NASAの研究によると、スコット氏が地球に帰還した半年後でも、これらの遺伝子の発現の7%が変化したままであると確認された。
筋肉と骨が衰える
地球の重力の下では、ソファに横たわり動画を見ている時でさえ、体は驚くほど働いている。しかし宇宙では、こうした負荷が一切かからない。このため、筋肉はすぐに衰え、骨折しやすくなる。宇宙に1カ月滞在するごとに、およそ1〜2%の骨量が失われる。特に腰や脚の減少が著しい。骨量の減少により、血中カルシウム濃度が増加するため、腎臓結石になる危険性も高まる。(参考記事:「宇宙医学が貢献するアンチエイジング」)
こうした悪影響はだいぶ前から知られており、ISSに滞在する宇宙飛行士は、低重力環境での筋肉と骨の衰えを防ぐため、精力的に運動している。カルシウムやビタミンDが特に豊富な食事に変更することも、リスクの軽減に役立つ。
反対に、宇宙飛行士が地球に帰って来た際には、鍛える方法はいくらでもあり、地球の重力に慣れる時間もたっぷりとある。「頭を手で支えるという奇妙な初体験をしました」と2013年にISSに滞在した宇宙飛行士クリス・ハドフィールド氏はCBCニュースのインタビューで答えた。「5カ月もの間、首の上で頭を持っていなければなりませんでした」
精子は宇宙でも元気だった
宇宙に滞在すると人体に多くの悪影響が出るが、未来の宇宙飛行士が心配する必要がないかもしれないことが1つある。子作りだ。2017年に発表された研究によると、凍結乾燥して周回軌道上で9カ月間保管したネズミの精子からでも、健康な子どもが生まれた。(参考記事:「宇宙精子」使い健康な「宇宙マウス」が誕生」)
もちろん、宇宙での性行為には、別の問題が生じるかもしれない。この手の実験は、まだ認められていないからだ。低重力下における物理学は、本稿のテーマから外れるが、いずれにせよ、このネズミの研究結果により、将来の世代が他の惑星に定住する際に、生殖補助技術が役立つ可能性が示唆された。