マケドニアの国名変更ならず、各国の変更理由は?

「他の国と混同される」「ブランディングのため」などいろいろ

2018.10.05
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チェキア / チェコは最近、ブランディングの一環として、チェキアという呼称をつくった。写真はプラハの旧市街橋塔。(PHOTOGRAPH BY ROBERT HARDING PICTURE LIBRARY)
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国名変更した国々のさまざまな理由

 チェコがチェキアという呼称を発表したのは2016年。ほかの国と混同されるからではなくマーケティングのためだ。チェコの正式名称はチェコ共和国(Czech Republic)で、1単語の国名の方がPRしやすいと政府関係者は述べている。チェコは比較的新しい国で、1993年、チェコスロバキアが分離した際、スロバキアとともに誕生した。

 さらに、2013年には、ケープベルデが「カーボベルデ」に改称している。カーボベルデは大西洋の真ん中に浮かぶ10の島から成る国で、人口は約50万人。正確に言うと、カーボベルデは1444年、これらの島々がまだ無人島だったとき、ポルトガルの船乗りたちが付けた最初の名前だ。カーボベルデは緑の岬という意味を持つ。

 おそらく、国名の変更が最も複雑だったのは、かつてバルカン半島に存在した国、ユーゴスラビアだ。この国は第一次世界大戦の荒廃のなかで生まれ、当時の正式名称はセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国。1929年、ユーゴスラビア王国に改称した。第二次世界大戦が終結すると、共産主義政府が実権を握り、ユーゴスラビア連邦人民共和国に改称。1963年に再び、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国に変更された。(参考記事:「【動画】廃墟と化した旧ユーゴの「生き地獄」」

【ギャラリー】マケドニアはどうなる?国名を変更した世界の国々 写真11点(写真クリックでギャラリーページへ)
ナミビア / 南西アフリカから改称し、1990年に独立。(PHOTOGRAPH BY ALEX TREADWAY, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

 その後、ソビエト連邦の崩壊と激しい内戦を経て、1992年、ユーゴスラビアは崩壊。さらに、度重なる国境の変更といくつもの紛争を経て、現在、ユーゴスラビアの領土だった場所にはセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニア、マケドニア、モンテネグロがある。2008年には、セルビアのコソボ・メトヒヤ自治州がコソボ共和国として一方的に独立を宣言した。(参考記事:「内戦から20年、断絶つづく故郷ボスニアへ 写真16点」

 コンゴ民主共和国も国名変更を繰り返している。1885〜1908年の名称はコンゴ自由国で、ベルギー国王レオポルド2世が私有地として圧政を行っていた。その後、ベルギー領コンゴとなり、1960年、コンゴ共和国として独立。数年後、コンゴ民主共和国に改称した。さらに1971年、独裁者モブツ・セセ・セコがザイール共和国に改称。おそらく、コンゴ川の別名ザイール川に由来するのだろう。そして1997年、モブツ政権が崩壊すると、「コンゴ民主共和国」に戻された。(参考記事:「密林の大河 コンゴ川に生きる」

そのほかの重要な国名変更:

カンボジア王国→クメール共和国→カンプチア→カンボジア(1991年)

フランス領ソマリランド→フランス領アファール・イッサ→ジブチ(1977年)

ギルバート諸島→キリバス(1979年)

ポルトガル領ティモール→東ティモール→東ティモール民主共和国(2002年)

ドイツ領南西アフリカ→南西アフリカ→ナミビア(1990年)

上ボルタ→ブルキナファソ(1984年)

【この記事の写真をもっと見る】ギャラリー:マケドニアはどうなる?国名を変更した世界の国々 あと7点

文=STEPHEN LEAHY/訳=米井香織

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