「転住」だと思われた米国日系人の強制収容

第2次世界大戦中、12万人を超す日系人が強制収容所に送られた

2018.10.02
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競馬場に急造された集合センターに家族の車で到着した大学生のドロシー・タキイ(旧姓)は目を輝かせて写真に収まった。しかし間もなく、そこでの暮らしは彼女が思い描いていたような楽しいものでないことを知る。PHOTOGRAPH BY CLEM ALBERS, NATIONAL ARCHIVES

 1930年代に日本が中国大陸で勢力を広げると、米国内の反日感情は高まった。火に油を注いだのが、3500人を超す米国人が犠牲になり、米海軍の艦艇に甚大な被害を与えた真珠湾攻撃だ。その後、日本軍が南太平洋へ進出し、グアム島やウェーク島、香港を次々と手中に収め、フィリピンの米軍を降伏させると、全米に日本への激しい怒りが湧き上がった。

 日本軍がすぐに米国西海岸に侵攻してくるかもしれないという不安がデマとなって広がり、ハワイの日系人が日本軍の真珠湾攻撃を手助けしたという根拠のない噂が流れた。

 1942年2月14日、米国西部の治安部隊を任されていたジョン・L・デウィット陸軍大将が、国防上の必要性という理由で西海岸から日系人を退去させるべきであると勧告した。「日本民族は敵性民族であり、米国で生まれ、米国の市民権を有する日系2世や3世の多くが『アメリカ化』されているとはいえ、民族的な気質は薄められるものではない」

 司法省は当初、デウィットの勧告に反対の姿勢だったが、フランクリン・ルーズベルト大統領が賛同していることが明らかになると、最後には追随することになった。真珠湾攻撃から10週間後の1942年2月19日、ルーズベルトは大統領令9066号に署名し、軍に対して、米国市民も含めたあらゆる日系人を検挙し、収容できる広範な権限を与えた。

家族にあてがわれた識別番号

 強制収容に起因する精神的な苦痛が軽視されてきたと指摘するのは、サツキ・イナだ。彼女は収容所で生まれ、現在は日系米国人の体験を専門とするトラウマ・セラピストをしている。「一般の米国人は、あれを『転住』だったと思っています。この言葉は、政府が日系人の安全を守るために行ったというニュアンスが含まれます。しかし、現実には拘留だったんです。収監されたときに若者だった人たちが現在は高齢になり、あの出来事の意味を理解しようとしているように思います」と彼女は言う。

 イナによれば、家族にあてがわれた識別番号は収容された日系人にとっては屈辱的で、現在もその仕打ちに苦しんでいるという。「名前を失って番号になるのは、もはや存在していないのと同じです。多くの日系人がアイデンティティーを失い、米国が自分たちに背を向けたと感じました」。イナは家族番号が書かれたタグを今も持っている。

 ドナルド・トランプ大統領が進めるメキシコとの国境での不法移民取り締まりの一環として、米国政府が不法移民の子どもたちを親から引き離していることを知って、イナはショックを受けたという。苦しむ子どもたちに、かつての自分の姿を重ねたのだ。不法移民に関する国民的な議論とイスラム教国の国民の入国禁止を最高裁が支持したことを受け、日系米国人の多くが、トランプ政権の政策に異議を唱えている。

※ナショナル ジオグラフィック10月号「強制収容された日本人」では、戦時中、米国の日系人が現地で強制収容された時の様子を写真と当事者たちの記憶で振り返ります。

文=アン・カリー/ジャーナリスト

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