巨万の富を稼いだ“最後の帆船”、その栄光と闇

史上最速の帆船として活躍するなか、アヘン貿易にも加担したクリッパー船

2018.09.06
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1812年のボルチモアクリッパーを復元したプライド・オブ・ボルチモア号。米国のクリッパー船は高速で航行するために建造され、中国と米国の間を短期間で往復し、世界貿易に革命をもたらした。(PHOTOGRAPH BY BENJAMIN ROFFELSEN, GETTY IMAGES)
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スティーブン・ウジフサ氏の新作『Barons of the Sea』(PHOTOGRAPH COURTESY OF SIMON & SCHUSTER)
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 クリッパー船は、当時最速の帆船として世界の貿易に革命を起こした。中国から茶を運び、ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコへ食料品や備品を届け、船主たちは米国で最も裕福な人々の仲間入りをした。しかし、歴史家スティーブン・ウジフサ氏の新作『Barons of the Sea(海の男爵たち、未邦訳)』によれば、栄光の陰でクリッパー船はアヘン貿易にも関わっていたという。数百万という中国人をアヘン中毒にさせ、船のスピードを上げるために船員たちは過酷な労働を強いられ、時には命の危険にもさらされていた。

 ワシントンD.C.を訪れていたウジフサ氏に、ナショナル ジオグラフィックが話を聞いた。

――ある歴史家が「クリッパー船には、最初から最後まで不正と暴力が付きまとっていた」と語っていますが、これはどういう意味でしょうか。米国は、何を目的にクリッパー船を製造していたのでしょうか。

 いわゆるボルチモアクリッパーとして知られる高速帆船は、メリーランド州のチェサピーク湾で1810年代から1820年代に建造され、奴隷の運搬や私掠船(しりゃくせん、訳注:国の免許を受けて、敵国の船を襲撃することが認められた民間の船)として使われました。1840年代には、中国と取引する米国の商人がクリッパー船の設計に改良を加えて大型にしたチャイナクリッパーを製造しました。それが広東省からニューヨークへ、後に香港へ茶を運びました。彼らはさらに、アヘンの密輸用にボルチモアクリッパーを改良し、中国の麻薬取締官へ賄賂を送り、中国へアヘンを持ち込みました。(参考記事:「沈没船41隻を発見、驚異の保存状態、黒海」

――クリッパー船は、他のタイプの船とどう違っていたのですか。

 米国のクリッパー船は、正方形の帆を付けたマストを3本持ち、あらゆる装備が施され、積載量よりも速度の方が重視されました。そのため、1840~50年代の巨大クリッパー船は船首と船尾を鋭角にし、船首が反り返った形に設計されました。高価な物資を運搬する目的で建造され、中国からは茶を、ゴールドラッシュの頃にはカリフォルニアへ生地や食料品を運びました。これらの品は、非常な高値で売られていきました。クリッパー船は普通の商業船よりも重装備で、50~60人の船員を必要としたため、運航費も莫大なものになりました。(参考記事:『映画とは違う? 最後の海賊ブラック・バートの実像』

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