歩いて旅したパミール高原の回廊地帯

地球の隅々まで拡散した太古の人類の足跡をたどるプロジェクト

2018.09.03
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ロバと一緒に、アフガニスタンのワハーン回廊の最後の行程を進む筆者のポール・サロペック。ロバと一緒に、アフガニスタンのワハーン回廊の最後の行程を進む筆者のポール・サロペック。PHOTOGRAPH BY MATTHIEU PALEY

 外国人の女性が自動車の屋根の上で踊っていた。そこは中央アジア、パミール高原の南端に当たり、アヘンの密輸業者が暗躍する土地として悪名高い。女性の車にはEUのナンバープレートが付いていた。何者なのだろう。ヒッピーの聖地を訪れる巡礼者だろうか?

 私は汗でぬれた帽子を脱いで、彼女にあいさつをし、疲れ切ったロバをせき立てながら、その場を後にした。中央アジアの険しい高山地帯を1カ月以上も野宿で移動してきたため、私の皮膚はひび割れ、腹がすいていた。

 私は徒歩で世界を歩いている。石器時代に地球の隅々まで拡散した人類の足跡をたどるプロジェクト「アウト・オブ・エデン・ウォーク」で、5年間も歩き続けてきた。毎日のように川を渡り、延々と何カ月もかけて大陸を横断していると、不思議な事柄に次々と出合う。だから荒野で女性が踊っていても、私はさほど驚かなかった。

 ワハーン回廊は、人間が暮らす場所としては、世界的に見ても秘境中の秘境だ。タジキスタンとパキスタンに挟まれた全長320キロほどの細長い土地で、中国西部の高山地帯まで続いている。19世紀にロシア帝国と大英帝国が、それぞれの領土を隔てる緩衝地帯として設け、それ以来、アフガニスタンの一部となってきた。回廊には、牧草地と石積みの壁に囲まれた村がいくつかあり、1万7000人ほどが農業や放牧で生計を立てる。私にとって、ここは南アジアへと抜ける出口だった。

16年ぶりのアフガニスタン

 かつて私は従軍記者として、アフガニスタンの戦闘地帯に滞在したことがあるが、16年ぶりに訪れた場所は、同じ国とは思えないほど違っていた。

 私のアフガニスタンの記憶といえば、小型トラックに乗った兵士たちや爆弾が炸裂するときの振動だ。その記憶とは対照的に、ワハーン回廊は平穏なオアシスのようだった。私たちは何も恐れることなく、小麦が実る田園地帯を歩いた。そこでは、男性たちが雄牛を引いて小麦を脱穀し、時代がかった水車が小麦を粉にしていた。ワハーン人はイスマーイール派のイスラム教徒で、女性たちはベールで顔を隠していない。雪に覆われた山には、過激派ではなく、ユキヒョウがうろついている。銃を持っている人間など、ここには一人もいない。それは、アフガニスタンの理想的な田園風景だった。

「今は幸せな時代です」と羊飼いのダルビシュ・アリは言う。「1990年代には、お茶すら手に入りませんでした。暮らしは良くなりました」

※ナショナル ジオグラフィック9月号「山を越え、時を超える」は、太古の人類拡散の旅路を歩いてたどるプロジェクトの7回目のレポートです。

文=ポール・サロペック /ジャーナリスト

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