記憶の書き換え、いつ実現? マウスでは成功

うつ病やPTSDの治療に期待、ただし倫理的な課題も

2018.07.19
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 米マサチューセッツ工科大学に在学中の2013年、ラミレス氏は研究パートナーのシュー・リュー氏と共に大きな成果を上げた。彼らはマウスの脳内でひとつの記憶痕跡を形成している細胞群を操作し、誤った記憶を作りだすことに成功した。このときの実験では、脳への特別な刺激によって、足に電気刺激が与えられるという恐怖を、そのときにマウスがいた実際の場所ではなく、記憶の中にある別の場所と結びつけて覚えさせた。

 マウスの脳は人間の脳ほど発達してはいないが、わたしたちの記憶の仕組みを理解する助けになるとラミレス氏は言う。

「例えて言えば人間の脳は高級車のランボルギーニで、わたしたちは三輪車を使って実験をしているようなものですが、車輪の回り方はどちらも同じです」とラミレス氏は言う。

2015年、ナショジオはラミレス氏の研究室を訪ね、記憶の細胞群を特定する技術について話を聞いた。(解説は英語です)

脳でコピー、ペースト、削除

 現在の研究において、ラミレス氏のチームは、ポジティブな記憶とネガティブな記憶はそれぞれ別の細胞群に保管されているのかどうか、またネガティブな記憶をポジティブな記憶で「上書き」できるかどうかを探っている。(参考記事:「遺伝子操作で知能向上、人への適用は?」

 ポジティブな“楽しい”記憶は、オスのマウスをメスのマウスと一緒に1時間、ケージの中に入れておくことによって形成される。一方、ネガティブな記憶は、別のケージで体を固定するなどのストレスを与えることによって形成される。マウスがそれぞれのケージで体験と刺激を関連付けて覚えたら、次は、そうしたポジティブあるいはネガティブな記憶痕跡と関わる細胞群を、研究者が操作できるような手術をマウスに施す。

マウスはこの部屋の中で、ポジティブあるいはネガティブな記憶を引き出す環境にさらされる。(PHOTOGRAPH BY JOSEPH ZAKI)
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 この実験によってわかってきたのは、ネガティブなケージの中にいるマウスの脳を刺激してポジティブな記憶を活性化させると、マウスが以前ほど強く恐怖を感じなくなるということだった。この記憶の「再教育」は、マウスの心的外傷を消すのに役立つのではないかと研究者らは考えている。(参考記事:「不安で眠れない夜に​も意味がある​ 嫌な記憶を弱める不眠」

 ただし、そうした元々ある恐怖の記憶が完全に上書きされるのか、それとも抑制されるだけなのかはよくわかっていない。

「ワード文書で例えるなら、記憶を新しいドキュメントとして別に保存したのか、元の文書を上書きしたのかがわからないということです」と、チームの一員であるステファニー・グレラ氏は言う。

 カナダ、トロント大学の神経科学者、シーナ・ジョゼリン氏は、これとは別の技術を用いて、マウスから恐怖の記憶を完全に消し去ることに成功した。ジョゼリン氏のチームは、ある記憶痕跡と関連している細胞群を特定した後で、それらの細胞内にあるタンパク質が、マウスが通常は抵抗力を持っているジフテリア毒素の影響を受けやすいようにした。毒素を注入されると、それらの細胞群は死滅し、そのマウスは恐怖を感じなくなった。

「死滅させたのはごくわずかな数の細胞ですが、記憶は事実上、消え去りました」とジョゼリン氏は言う。

実験開始前、下準備としてマウスには蛍光タンパク質の遺伝子を含むウイルスが注入され、脳に光ファイバーが埋め込まれる。(PHOTOGRAPH BY STEPHANIE GRELLA)
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