伝染病を媒介し、世界で最も危険な生物とされる蚊。どこに住もうとも、その戦いから逃れるのは難しい。(参考記事:「蚊と人間の終わりなき戦い」)
叩き潰してやろうと手を振り下ろした瞬間、ブーンと逃げ去ってしまう“空飛ぶ針”。いつだって、すんでのところで取り逃がす。人間の血液をたっぷりと詰め込んだ重い体で、どうやったら気づかれることなく飛び立てるのだろうか。有効な対策はないものか。最新の研究で、秘密の一端が明らかになった。
蚊の中には、クリップほどの大きさで体重はわずか2ミリグラムという種がいる。腹いっぱいに血液を吸ったとしても、その重みを感じることはほとんどない。一方、同じように極小のミバエなどの昆虫は、肌にたかられればすぐに気づくことだろう。(参考記事:「【解説】ジカ熱に未知の経路で感染、米国」)
米国カリフォルニア大学バークレー校とオランダのワーヘニンゲン大学の科学者による共同チームは、超スローモーションの動画を使って蚊の行動を観察した。
彼らは、ハマダラカの仲間でアノフェレス・コルッツィ(Anopheles coluzzii)という種を数百体用意し、高速度カメラで撮影、観察した。すると、蚊は離陸に備えて、1秒間に約600回もの速さで翅(はね)を動かし始めていることがわかった。その結果、細長い足で静かに体を宙に浮かせ、安全に飛び立つことができるのだ。こうして、人が刺されたと気づくころには、すでに逃げられているのである。この研究成果は、学術誌「Journal of Experimental Biology」のオンライン版で10月18日に発表された。
「あまりにそっと飛び立つので、肌には何も感じません」と、論文の筆頭著者であるフロリアン・マウレス氏は語る。「たいへん難しい技術を要します」。一方、ミバエは足を強く蹴って飛び上がり、よろめきながら翅をあたふたとばたつかせるため、すぐに見つかってしまうことも、この研究で明らかにされた。(参考記事:「ジカ熱52カ国へ、胎児の脳組織を破壊と報告も」)
「蚊の場合、急に飛び上がるのではなく、時間をかけて着実に加速し、最終的にはミバエと同じ速度に達します」。論文の共著者ソフィア・W・チャン氏は、カリフォルニア大学バークレー校が発行する新聞「バークレー・ニュース」に語っている。「これは蚊に特有の飛び方で、おそらく吸血種に特徴的なものと考えられます」
蚊を媒介とする感染症対策に、この研究を生かせるかもしれないと話すのは、ナショナル ジオグラフィックが「エマージング・エクスプローラー」として支援する若手研究者で、サウスフロリダ大学の生物学助教授のライアン・カーニー氏である。この実験には、清潔で無菌の蚊を使用したが、野外にはマラリアの病原菌を持つ蚊もいる。(参考記事:「ナチス、マラリア蚊の兵器使用を計画?」)
さらに、ジカウイルスを媒介するネッタイシマカ(Aedes aegypti)やウエストナイルウイルスを媒介するイエカ(Culex)に関しても、同様の研究をする価値はあるだろうと、カーニー氏は言う。
2017年には大型ハリケーンが次々に米国を襲い、蚊の対策は以前にも増して緊急性が高まっている。ハリケーン・マリアが米国領プエルトリコを直撃した時、強風と洪水によって蚊の生息数も激減したが、ハリケーンが去った後、あちこちにできた水たまりのおかげで、今度は蚊の繁殖に適した環境が整ってしまった。住民の多くは、今もなおまともな屋根や窓、空調のない生活を強いられている。(参考記事:「大型ハリケーン「ハービー」被害の記録 写真29点」)
蚊の飛翔行動がもっとよく理解されれば、効率的な対策の開発につながり、より広範囲な駆除が可能になるかもしれない。カーニー氏は語る。「知れば知るほど、その情報を使ってさまざまな対応措置を取れるようになります」(参考記事:「「人食いバクテリア」とは何か? 対処法は?」)