ナショナル ジオグラフィックに潜入したナチス

ナショジオ史上最悪のスキャンダル(前編)

2017.05.09
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 1936年には北アフリカへ旅し、撮影した写真をナショジオ誌の副編集長だった知り合いのジョン・オリバー・ラゴースへ送った。

 するとラゴースは、写真は掲載できないが、ベルリンに関する記事を書いてみないかとチャンドラーに提案した。編集部は、市民の生活や娯楽、趣味、カフェ、余暇の過ごし方、仕事、最近の建築事情、交通事情などを記事にしたいと考えていた。

 政治的緊張がかつてないほど高まるなか、記事の内容は誠実に、何よりも政治とは無関係な立場を保つように、ラゴースはチャンドラーに念を押した。それはごく初期からのナショジオの編集理念だったからだ。「現在のドイツの状況は明らかに論争の的になるものであり、政治や宗教に触れずに記事を書くのは難しいとは思います。けれども、そうしたことは他の出版社に任せておけばいいのです」と、ラゴースは書き送っている。(参考記事:「ナショジオ初期の7大編集方針」

 チャンドラーはそれを受け入れ、既にヒトラーの生まれ故郷に数日間滞在し、写真を撮ってあると伝えた。

 それから数カ月後、チャンドラーは「川と森の都ベルリン」と題した9000語の記事を送った。同封の手紙には、「ご希望通り、『論争の的になるような』話題には触れないよう細心の注意を払いました」と書かれていた。ラゴースはチャンドラーの仕事を高く評価し、500ドルを彼の銀行口座へ送金した。

 実際に掲載された47ページに及ぶ記事は、ハーケンクロイツ(鉤十字模様)の垂れ幕が下がる建物など、数々の写真とともに、ナチス支配下に置かれた町の様子を、まるで偉大なものを仰ぎ見るかのような筆致で伝えていた。ナショジオの歴史のなかで最も不名誉な記事のひとつである。チャンドラーが書いた見出しは、出版時に「変わりゆくベルリン(Changing Berlin)」に差し替えられたが、その内容は全体主義と宗教的な迫害にとらわれた国の様子ではなく、ヒトラーの誕生日パレードやベルリン市民の幸福そうな姿ばかりを捉えていた。(参考記事:「ナチスのタイムカプセルを発掘、開封」

続く関係、深まる疑念

 1937年、チャンドラーはウルリッヒ・フォン・ビューローという人物に引き合わされる。フォン・ビューローは、ヨーゼフ・ゲッベルス率いる宣伝省へ英米人を採用するために活動していた。

 このときはまだナショジオへの寄稿も続けており、トルコの民主化やバルト諸国の文化、ベルギーの農業、ユーゴスラビア国王に関する記事を書いていた。

 1938年にドイツへ戻ると、ナチズムが浸透しているのを見て喜んだ。この頃、友人へ宛てた手紙には、「身震いするほど素晴らしい新たな社会秩序がこの国で成長している」と書かれている。(参考記事:「ベルリンとアテネ 二つの欧州」

 1939年、チャンドラーは家族とクロアチア南部ダルマチア沖にあるコールチュラ島の古城に滞在していた。そこで、ペットフード会社「ピュリナ」の創立者でラゴースの友人でもあったウィリアム・ダンフォースの訪問を受けた。ダンフォースは自宅へ戻ると、チャンドラーを紹介してくれたお礼の手紙をラゴースへ書き送り、「ひとつ気になったのは、旅の途中で出会ったどんな国籍のどんな人物よりも、チャンドラー氏がナチスを支持し、反ユダヤ主義思想を持っていたということです」と付け加えた。

(当時、ラゴースは既にチャンドラーへの疑念を抱いていたと思われる。この1年前、チャンドラーはラゴースに、米国の大学が第三帝国をボイコットしたことで、自分は恥ずかしい思いをしたと書き送っていた。)

 ラゴースは、ダンフォースに情報提供への感謝の意を述べ、「ナショナル ジオグラフィックは政治や宗教的論争には関わらないこと、掲載する記事にはプロパガンダや偏見が入ってはならないことをチャンドラーにはっきりと伝えていました」と強調した。

 その後、ラゴースはヨーロッパにいた社員を遣わしてチャンドラー一家とナチスとの関係を調べさせた。すると間もなく、チャンドラーがナチスへ傾倒していることが確認された。

 ラゴースは、チャンドラーとの連絡を断ち切るよう命じた。予定されていたアルバニア取材をキャンセルし、チャンドラーの全ての活動をまとめた報告書を米国政府へ提出した。

 その頃、ユーゴスラビアとイタリアに滞在していたチャンドラーは、次第に陰謀説を信じるようになり、疑心暗鬼にとらわれていった。ラゴースが自分の電報や手紙に返信しなくなると、ユダヤ人がメディアに影響を与えていると非難した。自分の意見を大っぴらにしすぎて、コールチュラ島の隣人たちの間でナチ党員ではないかと噂されると、ユダヤ人による魔女狩りのターゲットにされていると主張した。(参考記事:「失敗したスパイの歴史」

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