真珠湾の報復、歴史を変えたドゥーリトルの日本空爆

1942年4月、米軍の奇襲航空部隊が敢行した大胆な任務とは

2017.04.18
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戦雲の流れを変える

 この大胆な空爆のニュースは世界中のラジオや新聞で伝えられ、沈みがちだった連合軍の士気を大いに高めた。しかしなにより大きかったのは、この一撃離脱の急襲が、軍事計画の立案に役立つ極めて重要な情報をもたらし、戦争の成り行きを変えたことであった。(参考記事:「原爆を運んだ米軍艦、撃沈から70年」

 ドゥーリトルによる空爆以前、日本海軍の無線はほぼ沈黙を守っていたため、米軍による暗号解読作業は困難を極め、帝国海軍の暗号書のうち、解読できたのは1割程度にとどまっていた。ドゥーリトルによる日本の中心地への急襲をきっかけに大量の暗号文が流れたことで、米軍は数週間のうちに、日本海軍の暗号の9割近くを解読するに至った。

アーリントン国立墓地のドゥーリトルの墓を訪れた、「ドゥーリトル・レイダーズ」の最後の存命者リチャード・E・コール。現在101歳のコール元中佐は、ドゥーリトル機の副操縦士を務めた。(PHOTOGRAPH BY MELINA MARA, THE WASHINGTON POST, GETTY IMAGES)
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 空爆から1カ月ほどたった1942年6月、日本は同国が有する大型空母6隻のうち4隻を発進させて、ミッドウェー島にある米軍の前哨基地を襲撃した。これを予測していた米軍は、待ち伏せを仕掛けて4隻の空母をすべて沈めた。この甚大な損失によって日本艦隊は力を失い、戦況は連合軍の優位へと傾いた。

 ジミー・ドゥーリトルがワシントンの陸軍航空隊本部に帰還すると、そこにはハップ・アーノルド大将とジョージ・マーシャル陸軍参謀総長が待っていた。彼らはドゥーリトルに、ホワイトハウスに行って大統領に会うようにと告げた。

「何のためでしょうか」とドゥーリトルは尋ねた。彼は、飛行隊の爆撃機をすべて失った罪によって軍法会議にかけられることを恐れていたのだ。

 参謀総長は答えた。「大統領から君に名誉勲章が送られるためだ」(参考記事:「ナチスによる原爆開発はこうして阻止された」

文=Winston Groom/訳=北村京子

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