装置を埋め込んでから、世界の感じ方はどのように変わりましたか。

 私は世界をより深く理解するようになりました。感覚を拡張するほど、人はさまざまな存在を認識するようになります。同じ家に何年も住んでいると、そこでは同じものを繰り返し知覚することになりますが、体に新たな感覚を加えれば、家はもう一度新しい場所となるのです。

自己認識はどのように変わりましたか。

 以前よりも自然との結び付きを強く感じています。私は自分のことを、人間という種を超越した存在であると考えています。アンテナ(触角)を持つことも、赤外線や紫外線を感知することも、人間にとっては馴染みがありませんが、他の種ではごく普通のことだからです。

人間の定義の境界を破る可能性を持つテクノロジーとしては、他にどんなものがあるでしょうか。

 私が見たところ、ICチップ、ソフトウエア、アプリを通じて、感覚ではなく知能を高める研究が大半のようです。人々はこれまで、自分自身ではなく、さまざまな機械類に感覚を与えてきました。例えば、後ろに何があるかを感じ取る車がありますが、人間にはそんなことはできません。

 想像してみてほしいのですが、自分の周囲360度を知覚できるイヤリングのようなものがあり、それが背後に誰かがいることをブザーで知らせてくれるとしたらどうでしょうか。こういった単純な装置がまだ作られていないことが、私には不思議に思えます。

人間が自分自身に修正を加えることに対し、制限を設ける必要はあるでしょうか。

 我々は皆、自分が望むように自分自身をデザインする自由を持っていると、私は考えます。ひとつひとつの感覚は、個人によって違うものです。人は誰もが目や耳を持っているように、その使い方は人それぞれであって、それを有効に使う人もいれば、無駄遣いする人もいます。

人間拡張は、究極的には人間の進化に影響を与えると思いますか。

 もし今世紀の終わりまでに、人間の感覚器官をプリントし、それをICチップではなくDNAに移植するといったことが行われるようになれば、拡張された感覚を持つ子供が生まれる可能性は現実味を帯びてきます。もし自分たちの遺伝子を修正したり、新たな器官を作ったりした人々が親になるなら、それはまさしく人類という種にとってルネサンスの幕開けとなるでしょう。

【参考記事】ナショナル ジオグラフィック2017年4月号特集「テクノロジーで加速する人類の進化」
歩く代わりに車に乗り、記憶をネット検索に頼り、遺伝子の編集技術を手にした現代人。人間はこの先、科学技術によって“進化”していくのだろうか?

文=Michelle Z. Donahue/訳=北村京子