先住民と入植者の協力示す壁画を発見、カリブの島

先住民の絵と十字架やラテン語が共存、出会った16世紀頃の様子物語る

2016.07.22
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モナ島に数多く点在する洞窟から見つかった壁画は、スペインによる植民地時代初期のもの。石灰岩の壁面にカルバリ山の3本の十字架が描かれ、その下にイエスの名がラテン語で刻まれている。(PHOTOGRAPH BY JAGO COOPER)
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 プエルトリコの西66キロにポツンと浮かぶカリブ海の孤島。石灰岩からなる島の洞窟の懐深くで、考古学者の一団が壁一面に文字や絵が描かれた見事な地下画廊を次々に発見した。描いたのは島の先住民とヨーロッパからやってきた初期の入植者たちとみられ、全く異なるふたつの世界観が初めてこの島で出会った当時の様子もうかがわせる。この調査結果は、7月19日付で考古学専門誌「Antiquity」に発表された。(参考記事:2003年3月号「自治に揺れるプエルトリコ」

 面積わずか49.2平方キロのモナ島には、約200個の洞窟がある。調査団はそのうち70個を調査し、先住民の遺した壁画は20個以上の洞窟で発見した。

 島には現在住む人はなく、自然保護区に指定されている。島内で恒常的に淡水を得ることができる場所は、洞窟の中だけだ。専門家は、生命を支える水資源がある場所と、壁一面に描かれた壁画には明らかな関連性があるとみる。

先住民の霊的信仰示すモチーフ

 幻想的な曲線や直線、模様は、壁や天井の柔らかい表面を爪で削って描かれている。「指で描かれたこれらのモチーフは、先住民たちの霊的信仰を反映しています」と、ロンドンにある大英博物館の学芸員ジャゴ・クーパー氏は言う。アメリカ大陸を専門とするクーパー氏の研究の一部は、ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けている。(参考記事:2015年1月号「人類はいつアートを発明したか?」

 見つかったモチーフは、人間、動物、幾何学模様など既に分類が済んでいるものだけでも数千種類に上り、その多様さはカリブ海の島々の中でも類を見ない。幅が数メートルに及ぶものもあり、多くが別の絵の上に重なるようにして描かれている。これは、人々が何度も洞窟へやってきたことを示している。

 絵のスタイル、関連する陶器、そして暗い洞窟内を照らすために用いられたたいまつの放射性炭素年代測定の結果を総合すると、これらの壁画がスペイン人到来前に描かれたものであることが分かっている。中には12世紀にさかのぼるものもあった。

洞窟の天井に描かれた先住民の巨大な壁画を眺めるアリス・サムソン氏。英レスター大学の考古学者で、洞窟調査の共同責任者を務めている。(PHOTOGRAPH BY JAGO COOPER)
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スペイン人到来で新たな壁画が

 先住民は、岩の多いこの辺境の地に5000年以上暮らしてきたが、スペイン人たちがやってきてから1世紀で姿を消した。1494年に島を訪れたクリストファー・コロンブスは、カリブ海の地図を作成し、その中にモナ島を書き加えた。地図にはヨーロッパと新大陸を結ぶ海路が記され、後に多くの船がここを行き交うことになる。モナ島の洞窟壁画にも、この頃に興味深い変化が起きている。(参考記事:「コロンブスを航海に向かわせた、トウガラシをめぐる冒険」

 ある洞窟から、先住民の壁画とともに初期のヨーロッパからの移住者が書き残したと思われるしるしも発見されたのだ。当時、プエルトリコとイスパニョーラ島に置かれていたスペインの要塞からこの島を訪れた人々である。スペイン人の名前、ラテン語やスペイン語で書かれた文、イエスの名の略記、キリスト教の十字架が数多く、先の尖った道具で岩肌に刻まれていた。(参考記事:「コロンブスの町、崩壊の原因は壊血病か」

洞窟に「生きた証」残す

 歴史的観点から最も価値があるのは、驚くほど現代的な落書きである。人の名前や日付など、多くは16世紀半ばごろのものだ。自分たちの存在を後世に残そうとして、洞窟の壁に刻み付けたのだろう。

 中でも「フランシスコ・アレグレ」という名は、明らかにヨーロッパ人のものであると分かる。歴史的文献から、この人物は1530年代に西インド諸島へやってきたスペイン人であることが判明した。プエルトリコのサン・フアンに拠点を置き、モナ島を含む王室所有の土地を管理する職務に任じられた人物だ。

 彼の署名と洞窟で見つかった文字がよく似ていることから、アレグレ自身がこの洞窟を訪れて文字を刻んだものと思われる。自分の生きた証を残したいという欲求は、はるか昔から人間が抱いてきたものだ。彼も、洞窟の壁を前に同じような衝動に駆られたに違いない。

きらめくカリブ海をはるか下に見おろす洞窟の入り口。左に下がっているのは、つる草と登山用ロープ。「先住民たちは、到達するのが困難な洞窟をあえて選んで探検しました」と、クーパー氏は言う。(PHOTOGRAPH BY JAGO COOPER)
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「ここに見られるのは、ふたつの全く異なる芸術の共存です」と、クーパー氏は語る。「後から描かれたものは、明らかにヨーロッパ人によるものです。先住民たちの芸術を見て、応答するように自分たちも文字や絵を刻み付けたのでしょう」

 ヨーロッパ人と先住民の壁画が同じ場所に並んでいること、戦いの場面を描いた壁画がないこと、そしてヨーロッパ人が先住民の案内なしにこの洞窟を見つけることはできなかったであろうことを考え合わせると、スペイン人による新大陸征服という聞き慣れた話とは全く違ったイメージが浮かび上がってくる。ここにあるのは、ふたつの異なる背景を持った人々が互いを知り、アイディアを共有し、そうして生まれた新たな文化のつながりがどんな未来を意味するのかを探ろうとしていた時代の名残である。(参考記事:「17世紀に沈没したスペイン商船、積荷ごと発見」

文=A. R. Williams/訳=ルーバー荒井ハンナ

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