1987年には漁獲高がゼロに

 1957年のピーク時、アラル海にはソビエト連邦全体の魚資源のおよそ13%を占める4万8000トン以上の魚が生息していた。それが1980年代までには、塩分濃度の上昇によって20種の固有種が死滅し、1987年には商業漁業による漁獲高がゼロという事態に陥った。湖水は減り続け、現在の湖岸はアラリスクの町から20キロも離れている。

 塩分濃度が高くなった北アラル海を生き残った魚はヒラメの仲間だけだった。その後、コクアラル・ダムが完成してからは1リットル当たり平均30グラムだった塩分濃度が8グラムまで低下し、おかげで約20種の淡水魚がシルダリヤ川から戻ってきた。

 アラリスク魚類検査局の検査長エセンバイ・エンセポフ氏によると、北アラル海の漁獲高は2006年の6倍に増加したという。2006年当時、1360トンの漁獲高のほとんどはヒラメだったが、2016年の漁獲高は7106トンで、最も多く捕れたのはブリーム、次いでコイ科のローチ、そして人気のパイクパーチも捕れるようになった。2018年には、漁獲制限量が8200トンに設定されている。

 魚が戻ってきたことから、内陸の町アラリスクでは商業も活気を取り戻している。魚の加工工場の監督を務めるアスカル・ズマシェフさん(42歳)の作業班は、2年前におよそ500トンの魚を加工したと話す。ズマシェフさんがこの工場で働き始めて以来最高の数字だったそうだ。

「私が生まれた時、この町の湖はもう干上がっていました。アラル海を初めて訪れたのは2年前のことです。私の両親はよく、昔港だった場所に毎日のように船が出入りしていたと話していました」と、ズマシェフさんは語った。

北アラル海では、環境回復の努力が実ったためか、ここ数年間で漁業が劇的に回復している。(PHOTOGRAPH BY TAYLOR WEIDMAN)
北アラル海では、環境回復の努力が実ったためか、ここ数年間で漁業が劇的に回復している。(PHOTOGRAPH BY TAYLOR WEIDMAN)

漁師が増えたが、密漁も多発

 冬の朝、アラリスクから約4時間ほど離れたタスツベクの村は人けもなく静まり返っていた。だが、午前10時ごろになると町は活気づき、漁師たちが集まって道具を点検したり、その日の計画を相談する声が飛び交い始める。アラル海までは車で1時間の距離なので、魚を大量に捕って、夕方には村に戻れる。

 イブラギモフ家の家長であるキディルバイさんは、1973年にここで生まれ、タスツベクの変化を目にしてきた生き証人だ。困難な時期によそへ移り住んでいった人々とは違い、キディルバイさんの家族はラクダやウマなどの家畜を飼って生計を立てた。キディルバイさんがまだ少年だったころ、村には家が90戸あったという。

「90年代半ばには、9戸にまで減っていました」。昨年は、その数が29戸、そして今年は34戸に増えた。新しく村へやってきた人々は、すぐに金儲けができると期待する若い漁師たちだ。「村が大きくなるのはうれしいです。そうすれば政府の注意も向けられ、道路建設やその他の支援をしてくれるかもしれません」と、キディルバイさんは言う。

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