秦の始皇帝陵に8000体、4.8億円の価値
指を盗まれた騎兵俑はおよそ2000年前に作られたもので、その価値は450万ドル(約4億8000万円)と推定されている。この兵馬俑が見つかった秦始皇帝陵一帯は、ユネスコの世界遺産に登録され、中国で最も重要な考古学的発見のひとつとされている。(参考記事:「思わずゾクゾクする考古学フォト13点」)
1974年、中国の西安市郊外にある果樹園へ水を引くための井戸を掘っていたときに、作業員が奇妙な焼き物の破片を掘り出した。当局へ連絡すると、政府は考古学者の一団を現地へ派遣した。中国史上初の皇帝となった秦始皇帝の兵馬俑は、こうして発見された。以来40年以上をかけて、発掘調査が行われてきた。(参考記事:「兵馬俑の職人、ギリシャ人芸術家が訓練か」)
13歳になってすぐに即位した始皇帝は、紀元前246年から210年まで帝位につき、戦乱の世を統一し、封建制度を終わらせ、万里の長城建設に着手した。
権力の座について間もなく、始皇帝は陵墓の建設を命じ、70万人以上が工事に駆り出された。陵墓は、始皇帝の死から1年後の紀元前209年に完成した。
兵馬俑坑には4つの坑があり、そのうち3つから8000体の兵士の像が見つかっている。実際にはもっと存在していたのではないかとも考えられている。兵士は階級ごとに配置され、ピンクに色づけされた顔は一体一体が違う表情をしている。2000年前の顔料が表面にわずかに残っており、かつては黒髪に茶色か黒の瞳を持ち、服は明るい赤、緑、紫、黄色に着色されていたことがわかる。
その他、3つの俑坑からは武器や粘土でできた実物大の馬に引かれた木製戦車も見つかっている。
始皇帝陵はまだ発掘されていないが、リモートセンシング、地中レーダー、ボーリング調査を駆使して墳丘を調べ、陵全体の広さは約100平方キロメートルであることがわかっている。
陵墓周辺には、建設中に亡くなった職人、労働者、罪人も埋められていた。集団墓地からは、数多くいた始皇帝の息子や、処刑された側室のものと思われる遺骨も見つかっている。(参考記事:「2500年前の墓から完全な大麻草13本を発見」)
1985年、1号坑発掘中に作業員のひとりが兵俑の頭部を盗んだため、作業は突然中断された。犯人は後に処刑されている。