結びつきが変われば、色も変わる

 パラカスの人々が土器の色付けに用いた物質の種類から、パラカス文化と近隣の文化との間に交流があったらしいことも明らかになった。パラカス文化は、パラカスの北の内陸で栄えたチャビン文化(紀元前900年~紀元前200年)の影響を受けていたと考えられている。古い時代の土器の色付けにはチャビンの人々が採掘していた辰砂(しんしゃ)という赤い顔料が使われていたが、やがて時代とともに紅殻(べんがら)に変わっていった。歴史学者や考古学者は、顔料のこうした変遷は、チャビン文化がパラカス文化に及ぼす影響が弱まっていった過程と一致していると指摘する。(参考記事:「蜘蛛神を祭る寺院、ペルーで発見」

パラカス文化の土器には15種類もの色が使われているが、ほとんどの土器は4~5色の組み合わせで色付けされている。(PHOTOGRAPHS BY DAWN KRISS, COURTESY OF AMERICAN MUSEUM OF NATURAL HISTORY)
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「顔料の変化から、この地域の交易や交流について多くのことがわかります」とクリス氏は言う。(参考記事:「古代マヤ文明の王か? 赤い遺骨と翡翠の面を発見」

 パラカス文化の専門家で、米ペンシルベニア大学考古学・人類学博物館の顧問学者であるアン・H・ピーターズ氏は、「非常に面白い研究です」と言う。顔料の変化は、パラカスの職人が進取の精神に富んでいたことを示しているという。(参考記事:「4千年前の「高貴な族長一家」、リアルに復元」

儀式的や社会的な力

 クリス氏は、今のところは爬虫類の尿に関する詳細よりも、土器が当時の交易や文化的なつながりについて教えてくれることの方に興味があるという。「植物性の固着剤についての詳細も、まだわかりません。本当に難しい問題です。砂漠の植物だろうと考えていましたが、もしかすると、そうではないのかもしれません」

 クリス氏によると、固着剤の原料となる植物がパラカスに自生するものではなかったとすれば、未知の文化とのつながりがあった可能性も考えられるという。

 固着剤の正体がなんであれ、土器の色鮮やかな顔料は、殺風景な海辺の砂漠に暮らしていたパラカスの人々について、多くのことを教えてくれるとピーターズ氏は言う。(参考記事:「人類はいつアートを発明したか?」

「パラカスの人々は、保存容器や晴れ着に、彩り豊かなデザインを施す方法を知っていました。こうした色彩とデザインには、儀式的や社会的な力があったと思います。人々が集まったときには、殺風景な砂漠の中にパッと色鮮やかな中心点ができたように見えたことでしょう」(参考記事:「【動画】高貴な女性ミイラの顔を復元、驚異の技術」

【参考ギャラリー】思わずゾクゾクする考古学フォト13点(クリックでギャラリーページへ)
ラ・ベンタの石頭
1947年のナショジオの写真。メキシコのラ・ベンタでオルメカ文明の巨大な石頭を調査する考古学者たちをとらえている。オルメカ文明はメソアメリカ最初の文明であり、一帯の発展に関する貴重な手がかりの宝庫だ。(PHOTOGRAPH BY RICHARD HEWITT STEWART, NATIONAL GEOGRAPHIC)

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