ハーランド氏とデービッズ氏の勝利は先住民にとって、政治への完全参加を勝ち取るまでの長い道のりの象徴でもある。米国政府がすべての先住民に市民権を与えたのは1924年。ハーランド氏の地元であるニューメキシコ州が先住民に選挙権を認めたのは1962年で、50州のうち最後だった。(参考記事:「暗殺から50年、世界1000カ所に広がる「キング牧師通り」 写真6点」)
先住民の政治活動に火がついたきっかけは、2016年に始まったダコタ・アクセス・パイプラインへの抗議行動だと考えられている。
トラハント氏は言う。「スタンディングロック先住民居留地での抗議行動は一つの節目でした。パイプラインの設置を阻止できるかどうかにかかわらず、新たな力によって、より大きな何かができると気づいた瞬間です」。選挙前、先住民の連邦議員は2人しかいなかった。チカソー族のトム・コール氏とチェロキー族のマークウェイン・マリン氏で、いずれもオクラホマ州の共和党議員だ。今回の選挙では、2人に続こうと、数十人の先住民が立候補した。(参考記事:「米国西部でダム3基撤去へ、自然再生めざす先」)
ハーランド氏とデービッズ氏は職業軍人の家庭に育った。先住民のコミュニティーに深く根差している伝統の一つだ。先住民は米国が関わったすべての戦争を戦ってきた。軍人という職業を選択する人も非常に多い。
デービッズ氏は退役軍人のシングルマザーに育てられた。ハーランド氏の父親(先住民ではない)は海兵隊員で、銀星章を授与され、アーリントン国立墓地に埋葬されている。ハーランド氏自身は35代目のニューメキシコ州民を自称し、母親と祖母から不屈の精神を受け継いだと話す。(参考記事:「古代プエブロに母系支配者、「世襲」の起源に光」)
「祖母はバケツいっぱいの灯油とブラシで、列車のディーゼルエンジンの汚れを落としていました。母は25年間、連邦政府の職員として、先住民の教育に携わりました。私は2人から勤労意欲を受け継ぎました」
先住民はアフリカ系米国人と同様、人頭税や読み書きテストといった有権者抑圧戦略の対象とされてきた。例えば、10月には、ノースダコタ州のスピリットレイク族が有権者身元証明法に関する訴えを起こしている。訴えによれば、この法律が原因で、居留地の住民たちは選挙権を奪われているという。
それでもトラハント氏らは、ハーランド氏とデービッズ氏が連邦議員になることで、先住民たちの心に強い印象を刻んだと確信している。
「ラグナ・プエブロ居留地に暮らす女の子が『大きくなったら大統領になりたい』と言えるようになったのです。これまではあり得ないことでした。2人のような女性を見たことがなかったためです。これはどのような選挙より重要なことだと思います」