黄金の馬頭像を初公開、古代ローマの辺境で出土

発掘進む居住地「ヴァルトギルメス」、古代ローマとゲルマンの意外な関係を示唆

2018.08.22
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像が生贄の代わりに?

 光り輝く像や水道設備の跡などから見て、ヴァルトギルメスはゲルマン人部族を制圧するのではなく、味方に引き入れようとする努力の一環であったとも考えられる。

「この居住地には行政機関があったと考えられ、州都にする計画だった可能性もあります」と言うのは、考古学者でザールブルク城砦(フランクフルトの近くにある、同地域の古代ローマ遺跡の博物館)の管理者であるカルステン・アムルハイン氏。「ローマ人は、私たちが考えていたよりはるかに深く、新たな属州の計画を練っていたのでしょう」

 トイトブルクの森の戦いから数年後、この古都における人々の暮らしは終わりを迎えた。しかしここで戦闘や虐殺があった形跡はないとラスバッハ氏は言う。おそらく、紀元16年にローマ軍がライン川の北および東側の領地を放棄するよう命じられたときに、ヴァルトギルメスの居住者も立ち退いたのだろう。

 ラスバッハ氏によれば、入植地が放棄された後、像はゲルマン人によって粉々に壊され、金属として再利用されたようだ。合計160個のブロンズ片(ほとんどがごく小さな破片だ)が、町のあちこちで発見されている。

 馬の頭部は、例外だった。彫刻の台座からさほど離れていないところで、深さが9メートル以上もあるローマ時代の井戸が発見された。頭像はその底で8つの重い臼石、木製の手桶、道具の柄、牛のくびきなどのがらくたなどに埋もれていた。

 馬頭像は偶然井戸に落ちたのではないとラスバッハ氏は言う。金属は大変な貴重品であり、無駄にするはずがないからだ。おそらく、儀式の一部として井戸に投げ入れられたのだろう。北ヨーロッパの部族が馬を生贄にすることはよくあり、沼や川に馬の体を沈めていた。おそらくブロンズ製の頭部も、同様の儀式で使われ、生贄を封じ込めるために臼石などのがらくたがその上に投げ入れられたのだろう。

 馬頭像が発掘されたのは2009年だが、発見された農地の所有者がドイツの裁判所で起こした裁判の間、10年近くも公開されることなく保管されていた。今月、ヘッセン州がこの遺物を取得するため、農場主に約80万ドル(約8800万円)を支払うことに同意。8月19日から、ザールブルク城砦の博物館で常設展示が始まった。

 ヴァルトギルメスが、交易と文化を通じてゲルマン人を味方にしようとしたローマ人の計画の一部だったとすれば、ローマ人が未開の地に作ろうとした植民地はこれだけではなかった可能性がある。(参考記事:「古代ローマ期の英国に中東から来た男、剣闘士か」

「もっとあったに違いありません」とラスバッハ氏は話す。「しかし、大抵の場合、ローマの遺跡の上に現代の居住地ができています。ヴァルトギルメスについては、非常に運が良かったのです」

【参考ギャラリー】古代の黄金財宝、驚くべき9点(写真クリックでギャラリーページへ)
【参考ギャラリー】古代の黄金財宝、驚くべき9点(写真クリックでギャラリーページへ)
ギリシャ神話の愛の女神アフロディテをかたどった小さな黄金の像。馴染みがあるようでいて、どこかエキゾチックだ。額の印から、インドの影響を受けていることが分かる。1978年にアフガニスタンの遊牧民の遺跡から出土した2000年前の黄金の宝飾品のコレクション「バクトリアの至宝」の1つ。一時期、盗難にあって失われたと思われていたが、そのほとんどが2003年にカブールの銀行の地下室で再発見された。(PHOTOGRAPH BY VIKTOR SARIANIDI, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

文=Andrew Curry/訳=山内百合子

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