特殊な遺伝子のパターン

 ボサート氏の言う通りだ。哺乳類が海洋環境に進出したときに様々な遺伝子が変化したのは意外ではない。それが進化というものだ。

 クラーク氏らは、哺乳類が海に出ていったときに複数の系統で同時に起きた変化のパターンを特定しようとした。今日の海生哺乳類には、クジラ目(クジラ、イルカ)、カイギュウ目(マナティー、ジュゴン)、鰭脚(ききゃく)類(アザラシ、アシカなど)という3つの主要な系統がある。クジラ目はカバと、カイギュウ目はゾウと、鰭脚類はクマやイタチと共通の祖先をもつ。

 論文の筆頭著者であるウィン・マイヤー氏は、次のように話す。「海生哺乳類の進化は本当に驚異的です。生物にとって適応的な、もしくは、器官の機能にとって重要な変化を特定するのはふつう困難です。似たような変化がまず存在しないからです。たいていは、ある器官で奇妙な変化が1つ起こるだけですが、海生哺乳類では何度もそうした変化が見られるのです」

 マイヤー氏は数種の海生哺乳類のゲノムを比較し、陸生哺乳類とは機能が大きく異なる遺伝子を探した。特に、進化とともに損傷し、タンパク質を生成する機能を失った遺伝子を入念に探した。その結果、海生哺乳類ゲノムの間で、数十の損傷した遺伝子が見つかった。そのほとんどが味覚や嗅覚の受容体に関連したものだった。

 陸上と海洋では食物にも環境にも大きな違いがあることを考えれば、これは当然の結果だ。(参考記事:「クジラやトドらの大型化、理由を解明、定説覆す」

 しかし、PON1はほかの遺伝子とは違っていた。PON1は感覚プロセスには関与していないのに、何度も不活性化の変異が起きていた。その結果、陸生哺乳類の間では完全に保存されているPON1の機能が、3系統の海生哺乳類のすべてで失われることになった。研究チームが特定した全遺伝子の中で、そのようなパターンを示したのはPON1だけだった。当然ながら、海生哺乳類の血液中のPON1酵素を調べてみたところ、何の活性も見られなかった。

「非常に興味深い発見です」と、米国地質調査研究所の生物学者マーガレット・ハンター氏は言う。「この遺伝子をもたない哺乳類はこの3系統の海生哺乳類だけのようですが、それでもその種類はかなり多様ですから」

【参考ギャラリー】近い! 優雅で楽しげなイルカたち 写真10点(写真クリックでギャラリーページへ)
ハラジロカマイルカ(Lagenorhynchus obscurus)は、互いにコミュニケーションを取り合って、カタクチイワシの群れをボール状に追い込む。アルゼンチンのゴルフォ・ヌエボで撮影。(PHOTOGRAPH BY BRIAN J. SKERRY, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

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