カルーサ王国の巨大住居跡を発見、記録と一致

北米の狩猟採集民は驚くほど大きく複雑な社会を築いていた

2018.06.18
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 それにもかかわらず、16世紀のカルーサ族の文化は、聖職者、軍隊、網の目のように張りめぐらされた運河、広がる通商路、各地の村に住む2万人以上から貢物を集める王など、農耕社会に近い特徴を備えていた。マウンドキーはカルーサ族の人々がカキとハマグリの貝殻を積み上げて作った巨大な人工島で、いちばん高い場所には王の立派な住居があった。

 カルーサ族は植民地化とキリスト教への改宗に激しく抵抗したことで知られる。1521年、ヨーロッパ人として初めてフロリダに到達したフアン・ポンセ・デ・レオンを矢で射て致命傷を負わせたのもカルーサ族の戦士だった。

ギャラリー:カルーサ王国の巨大住居跡を発見、写真7点(写真クリックでギャラリーページへ)
ギャラリー:カルーサ王国の巨大住居跡を発見、写真7点(写真クリックでギャラリーページへ)
上空から見たマウンドキー遺跡の発掘現場。カルーサ王の住居跡の一部が見える。 (PHOTOGRAPH BY VICTOR THOMPSON)

 メネンデスは、南フロリダを植民地化する任務を負ってこの地にやって来た。しかし、カルーサ族の敵意が高まってきたり、暗殺計画が不首尾に終わるなどした結果、着任から3年で撤退を余儀なくされた。その後スペイン人は100年以上カルーサ族に接触することはなかった。1697年にフランシスコ会士がやって来たが、すぐに追い出され、のちにフロリダキーズ諸島で、カヌーの中で、裸で死にかけているところを発見された。

 その後もカルーサ族は独立を保ち続けたが、スペインの植民地政策による被害は非常に大きかった。ヨーロッパ人がフロリダに持ち込んだ病気の蔓延により、カルーサ族の人口は17世紀末には約2000人まで減少し、銃によって武装したほかの先住民による攻撃にさらされるようになった。(参考記事:「アステカ人の大量死、原因はサルモネラ菌か」

 18世紀末までにカルーサ族の王国は崩壊し、生き残った人々はフロリダキーズ諸島やキューバに逃れた。

大規模な労働力

 米ジョージア大学のビクター・トンプソン氏らは、カルーサ族についての謎を解くため、フロリダ州エステロ湾にある島、マウンドキーで発掘調査を進めている。

 今回の新たな研究は、カルーサ族の人々が「大きな構造物を建築したり、その指示をしたりする能力と、膨大な労働力」をもっていたことを示している。

 発掘チームは、マウンドキーに残された柱穴と基礎溝に基づいて王の住居の構造を推測した。彼らは、この住居がマウンドキーの頂上にあたる「マウンド1」と呼ばれる場所いっぱいに広がっていたと考えている。やや卵形をした構造物の奥行は約25メートル、幅は約20メートルで、約150本の木の柱によって支えられていたという。

 すり減ったハマグリの貝殻もいくつか見つかった。これは、柱が長持ちするように樹皮をはぐ道具だったと考えられる。発掘の際に見つかった小さな木片からは、この建物が、フロリダ本土から舟で運ばれてきたマツの木で造られていたことがわかる。

「彼らは大きな材料を運んできて、大きな建物を造りました。つまり大規模な労働力をもっていたことを意味しています」と、トンプソン氏は言う。

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