死後の世界に、いったい何が待っているのか。それは究極の謎だ。
世界を見渡せば、それぞれの文化によって死後の世界はさまざまだ。ある文化では、人が死ぬと真珠でできた天国の門をくぐるし、別の文化では永遠に炎に焼かれてもがき苦しむ。輪廻を繰り返す例もあれば、創造主と一体となる例もある。いずれも、命は永遠に続くという概念に基づいている。
死後にも世界があるという考え方は、はるか昔からある。人間は、地球の歴史からすれば一瞬にも等しい生を終えた後に、別の世界があるという希望を抱き、死後は今よりもずっと幸福な人生かもしれないと思い描いてきた。例えば古代エジプト人は、死後の世界では生前に好んだものを全て享受でき、苦痛や悲嘆、飢え、渇きなどに苦しむことはないと信じていた。
中国の秦王朝や、中米のマヤ文明など多くの古代文化では、死者があの世で何不自由なく暮らせるよう、墓には食料や種々の道具が入れられた。死者の財力がそれほどでもなければ、副葬品はもちろん簡素になる。エジプトで復活と再生を象徴するナイル川の黒い泥を、陶磁器のつぼに詰めるといった具合だ。だが、財産と権力のある集落の長なら、金に糸目を付けない最高級の品々と共に葬られた。
ここに紹介するのは、考古学者が世界中の遺跡から発掘した副葬品のほんの一例だ。どの遺物にも、死の向こうにはずっと素晴らしい世界が待っているという人々の信念が表れている。(参考記事:「インドネシア 亡き家族と暮らす人々」)
アフガニスタンの遊牧民の短剣
アフガニスタンの遺跡ティリヤ・テペで、紀元1世紀の裕福な遊牧民の墓6基が発掘され、金、銀、象牙の遺物2万1618点が出土した。写真の短剣の柄は金とトルコ石で作られ、持ち手に想像上の獣、柄頭にはシベリアのクマ(ヒグマの亜種)が表現されている。(参考記事:「アフガニスタン 消滅の淵にある仏教遺跡」)
旅立つファラオの船
紀元前15世紀にエジプトを統治したアメンヘテプ2世にささげられた副葬品の1つ、スギとエジプトイチジク材で作られ彩色された船。全長は180センチを超える。死後の世界の移動手段として作られたものだろう。(参考記事:「エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説」)
モチェ文化の宝
紀元250年ごろ亡くなった、戦士であり聖職者でもあった人物の墓には宝飾品が惜しみなく収められた。金とトルコ石でできたこの耳飾りもその1つ。高貴な人物の墓だが盗掘には遭わず、1987年にペルー北部シパンの村近くで発見された。(参考記事:「ペルー、モチェ文化の生贄は戦争捕虜か」)
トラキア人の王の顔
5世紀に生きたトラキア人の王の埋葬用仮面。純金で作られている。現在のブルガリアで2004年に発見された。トラキア人は統治者を石造りの丸天井の部屋に埋葬し、彼らの功績に関する記録は残さなかった。(参考記事:「人面の装飾、トラキアの黄金細工」)
古代エジプトの「裁きの日」
紀元前15世紀に、マイヘルプリという名の男性は「王の右の扇持ち」を務めていた。彼の墓から見つかったパピルスには、冥界の神オシリスが被葬者の善行と罪を天秤で測り、死後の運命を決める裁判の様子が描かれている。(参考記事:「古代エジプト貴族、ミイラの疾患調査」)
内臓を守るエジプトの神々
遺体をミイラにする際、死者の内臓はカノプス壺と呼ばれる容器に納められた。通常、壺の蓋には4人の神があしらわれた。左から、肺を守るハピ、肝臓を守るイムセティ、腸を守るケベフセヌエフ、胃を守るドゥアムトエフ。
マヤのヒスイ
7世紀にホンジュラス西部の遺跡コパンに葬られた男性は、豪華なネックレスを着けていた。王族の書記を務め、統治者の息子だったらしい。写真のヒスイ製ビーズ2つは貴族の姿を表す。このほかに小さなビーズがあり、冥界を象徴するフクロウがかたどられている。(参考記事:「中米ホンジュラス 密林に眠る伝説の都市」)
素焼きの兵士たち
秦の始皇帝の墓は膨大な数の兵馬俑によって永遠に守られている。紀元前3世紀には、首都は東からの侵略を最も警戒していたため、多くの兵馬俑が東を向いて立っている。(参考記事:「カラフルな装束、兵馬俑の最新調査」)
馬と死出の旅へ
フェルト、革、馬の毛で作られた色鮮やかな鞍覆い。シベリア、パジリク文化の紀元前5世紀の墓から見つかった。想像上の怪獣グリフォンがアイベックスの角にかみつく様子が描かれている。
伝統の融合
紀元前425年ごろのギリシャ様式の水差し。トラキア人兵士が描かれている。黒海沿岸のトラキア領土内、現在のブルガリアにギリシャが建設した植民都市の墓地から出土した。
いけにえにされたシャーマン?
ペルー、リマ南部にあるパラカス文化の聖地で見つかった1300年前のミイラ。包帯は1万5000枚ものコンゴウインコの羽で覆われている。中にあるのは若い女性の骨。神聖な治療師と考えられるが、何らかの理由で意図的に命を絶たれたらしい。(参考記事:「インカ帝国の拡大はミイラのしわざ?」)
目を奪う赤
鮮やかな色使いのマヤ文明の容器。ホンジュラス西部、コパンにある王墓の上の部屋から、かご、毛皮、羽毛など大量の供物と共に発見された。側面に描かれているのは、ぎょろ目の神トラロク。ずっと北にあるテオティワカン文明の神だが、マヤ様式の神殿とともに描かれている。
あの世でも一緒に
ある王妃が飼っていたガゼルのミイラ。エジプトの王族と同様に手間暇をかけて防腐処理が施された。青い縁取りのある上質な布にくるまれ、特製の木棺に入れられて、紀元前945年ごろ飼い主と共に葬られた。(参考記事:「古代エジプト ミイラになった王者のペット」)