火星地図200年の歴史、こんなに進化した15点

観測・探査の進歩とともに、未知の地形があからさまに

2016.11.23
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1880年代~1900年代初頭:火星に運河があった時代

イタリアの天文学者ジョバンニ・スキャパレリが1883~1884年に作成した火星マップ。(MAP COURTESY ARCHIVIO STORICO DELL'OSSERVATORIO ASTRONOMICO DI BRERA)
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 火星に生命がいるかもしれないという想像は、その後の火星マップの解釈に大きな影響を及ぼした。イタリアの天文学者ジョバンニ・スキャパレリは、1870年代後半から、ミラノのブレーラ天文台でみずから行った観察に基づいて火星マップを作りはじめた。彼の火星マップは、最初のうちはフラマリオンの地図によく似ていたが、時間がたつにつれ、上の1883~1884年の地図のようにくっきりした直線として描かれるようになる。そうして人々には、知的生命体が作った模様としか見えないようになっていった。

 スキャパレリ自身は、こうした直線が人工物(火星人工物)である可能性を頭から否定することはなかったものの、自然にできたものだと考えていた。ただ、彼がこの直線をイタリア語で「canali」と呼び、それが「canal」と英訳されてしまったことで、人々は人工物だと思い込むようになってしまった。英語の「canal」は運河だが、イタリア語の「canali」は、自然にできた広い海峡という意味で使われることが多く、スキャパレリもこの意味で使っていた。その証拠に、彼は1893年に、「これらを知的生命体の手になるものと推測する必要はない。たしかに全体の構造は幾何学的なようにも見えるが、地球の英仏海峡やモザンビーク海峡と同じように、惑星の進化の過程で産み出されたものだと考えたい」と記している。

パーシバル・ローウェルが1895年に出版した著書『火星』に載せた火星マップ。彼が名前をつけた184本の運河には番号がふってある。(MAP BY PERCIVAL LOWELL)
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 スキャパレリが後世に残した影響は非常に大きい。彼が火星のさまざまな場所に与えた名前のほとんどが今でも残っているが、最大の遺産はやはり「運河」だ。そうなった原因の多くは米国の天文学者パーシバル・ローウェルにある。ローウェルこそは、スキャパレリの地図の上を走る直線が火星人の運河であるという思い込みを世に広めた張本人だ。

 ローウェルは1894年にボストン科学ソサエティで行った講演で、「これらの模様は知的生命体によって作られたと考えるのが最も自然で、おそらくそれが正解です」と述べている。そして、1895年に出版した著書『火星』では上の火星マップを発表し、184本の運河、64カ所のオアシス、40の地域があると主張している(地図上の数字が、これに当たる)。

 ローウェルの予想通り、ほかの科学者は地球以外の惑星に知的生命がいる可能性を認めなかった。一方、大衆はローウェルの主張を大いに気に入り、彼の講演には大勢の人が詰めかけた。火星の運河に夢中になっていたローウェルは、とうとう米アリゾナ州に天文台まで建設し、何年にもわたって火星を観測し、その表面をスケッチした。けれどもやがて、火星についてさまざまな事実が明らかになってくると、運河仮説への批判が高まってきた。火星の表面温度が非常に低く、水が流れることなどできそうにないことが明らかにされ、目の錯覚で直線が見える場合があることも証明された。

マリナー計画の立案のために米空軍が使用した1962年の火星マップ。(MAP COURTESY LIBRARY OF CONGRESS)
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 それでもローウェルは一般向けの科学書を出版しつづけた。その頂点となる著作が、1908年の『火星 生命のすみか』だ。運河を建設した火星人のイメージは大衆の想像力を刺激しつづけ、H・G・ウェルズの小説を元にしてオーソン・ウェルズが制作したラジオドラマ『宇宙戦争』など、無数のSF作品にヒントを与えた。運河も地図に残り続けた。1908年からローウェル天文台で研究を行っていた米国の天文学者アール・スライファーが1962年に米空軍のために作成した上の地図にも、「運河」が描き込まれている。(参考記事:「「宇宙戦争」、パニックはなかった?」

 ローウェルやスキャパレリの火星マップにそっくりなスライファーのこの地図は、NASAのマリナー計画の最初の火星接近通過ミッションの立案に利用された。火星の運河をめぐる論争を決着させたのが、このマリナー計画だったのは皮肉である。

1965~1974年:巨大火山がある活動的な惑星

1960年代後半~1970年代前半のマリナー計画によってもたらされたデータに基づく火星の陰影起伏マップ。(MAP BY USGS, JPL, NASA)
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 マリナー計画では、1965年にマリナー4号が火星への最初の接近通過を成功させ、1969年にはマリナー6号と7号が相次いで接近通過を行った。3機の探査機は火星の画像を200枚以上撮影し、人工物と考えうるまっすぐな線など1本もないことを明らかにした。1971年にはマリナー9号が初めて火星周回軌道に入り、テレビカメラで7000以上の映像を撮影した。テレビカメラは、火星の表面全体のほか、火星の衛星フォボスとダイモスも撮影した。上の火星マップは、米国地質調査所がマリナー9号の画像に基づいて作成した予備的な陰影起伏マップだ。

 この新しい火星の眺めがすべてを変えた。火星には、巨大な火山、溶岩が流れた跡、大峡谷、曲がりくねった川床、地滑りの跡、衝突クレーター、断層、極冠、砂嵐があった。 米国地質調査所の科学者ハロルド・マサースキー氏は、火星の地質学的特徴を概観する1973年の論文で、マリナーからの画像は「火星がこれまで推測されていたよりはるかに多様で活動的であることを示している」とした。火星のオリンポス山という火山が地球のエベレストの2倍以上の高さがあり、太陽系最大の山であることも明らかになった。

マリナー9号からのデータに基づいて作成された火星の最初の地質図。1978年に発表されたこの地図は、地球と月以外の天体の表面の地質図としては最初のものだ。(MAP BY USGS)
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 マリナーからの画像は詳細で、上のような地質図を作成することができた。1978年に発表されたこの地図は、地球以外では初の惑星地質図となった。地図中の色は地形のタイプを表している。例えば、広範囲に分布する薄い紫色の領域はクレーターのある丘陵地、薄い黄色は滑らかな平原、濃い黄色はクレーターのある平原を表す。ピンク色は火山性物質、濃い紫色は山だ。

 火星の地質学的特徴が見えてくると、科学者たちは火星の歴史を推測するようになった。火山やその他の山々は、火星にも地球のような活発な地質活動があったことを示している。一方で、クレーターの数からは表面の古さがわかり、火星の一部の領域が非常に古いことが明らかになった。

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