兵馬俑の職人、ギリシャ人芸術家が訓練か

広さは山手線の内側に匹敵、姿を見せ始めた巨大陵墓

2016.10.17
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秦の始皇帝陵の周囲には、軍団をかたどった推定8000体のリアルな兵馬俑のほか、集団墓地や帝位簒奪の証拠も埋もれていた。(PHOTOGRAPH BY O. LOUIS MAZZATENTA, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 中国北部の土の中から謎のやきものの像が最初に発見されてから、今年で40年あまりになる。考古学者たちは、これらの像が、中国最初の皇帝である秦の始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)の陵墓の副葬品であることを明らかにしたが、土の中に隠されていた秘密はそれだけではない。発掘調査からは歴史書を書き換えるような大発見もあったし、外国人の芸術家が中国人の職人を訓練したとする大胆な新説も生まれた。

 多くの王国に分かれていた中国を初めて統一し、氏族を基にした封建制に終止符を打った秦の始皇帝は、中国史の中でひときわ大きく輝いている。彼が建設した万里の長城は、その強大な権力の象徴だ。(参考記事:「世界最古の十進法の計算表、中国で発見」

 しかし、始皇帝の最も驚くべきプロジェクトが初めて明らかになったのは、1974年のことだった。秦朝の首都だった咸陽(かんよう)の近くで井戸を掘っていた農夫たちが、土の中から奇妙な像をいくつも掘り出したのである。その後の発掘調査により、これらは皇帝の陵墓を永遠に守護するために周囲に埋められた兵馬俑の一部であることが明らかになった。俑とは、死者を守るために共に埋められる人形のことだ。発掘された3つの巨大な坑には、数千体の兵馬俑が整列していた。兵馬俑の造形は、それまでに中国で発掘されていたどの俑とも違っていたため、研究者たちを大いに悩ませた。兵馬俑を製作した芸術家たちは、どうしてこんなアイディアを思いついたのだろうか?(参考記事:「色鮮やかな兵馬俑」

芸人をかたどった「雑技俑」。一部の専門家は、細部までリアルに作り込まれた俑に、ギリシャ芸術の影響を見ている。(PHOTOGRAPH BY BROOK LAPPING PRODUCTIONS)
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 謎を解くためのヒントになりそうな発見もあった。芸人をかたどった「雑技俑」や、青銅製のカモ、ハクチョウ、ツルの像には、ギリシャの影響が見てとれる。そして、中国北西部の遺跡から出土した人骨からはヨーロッパ人のDNAが確認されているのだ。

 一部の専門家は、これらの事実を考え合わせ、兵馬俑は外国の芸術家からインスピレーションを得て作られたのではないかと唱える。マルコ・ポーロより1500年も前に、ギリシャ文化の影響を受けた西アジアから中国にやってきた芸術家が、始皇帝陵の副葬品を製作する中国の職人たちを指導していたのかもしれないというのだ。(参考記事:「2500年前の墓から完全な大麻草13本を発見」

見えてきた巨大陵墓

 科学者たちは、リモートセンシング、地中レーダー、ボーリング調査などを用いて、始皇帝陵がこれまで考えられていたよりはるかに大きく、その広さは約100平方キロメートルと山手線の内側に匹敵することを明らかにした。中心部には始皇帝の墓を土で覆った巨大な墳丘があるが、まだ調査が行われたことはない。遺跡には、始皇帝以外にも多くの人々が埋葬されている。30年におよんだ陵墓の建設中に死亡した職人や労働者(中には鎖につながれた罪人もいた)の遺体を埋葬したらしい集団墓地や、凄惨な後継者争いの物語を伝えているように思われる集団墓地も発見されている。(参考記事:「21世紀中に解明されそうな古代ミステリー7つ」

労役場

労働者の

集団墓地

兵馬俑

労働者の集団墓地

36年におよぶ陵墓の建設中に死亡した職人や労働者が埋葬されている。一部の遺体には、氏名や身分や出身地を記した陶製のタイルが添えられていた。

氏名や身分や出身地を記した

陶製のタイル

始皇帝の墳丘

歴史記録によると、始皇帝は永眠の地として自分の王国のレプリカを作ったという。発掘により貴重な財宝が損傷されるおそれがあるため、まだ調査は行われていない。

資料の記録より墳丘が低いのは、未完成だからなのか。それとも、浸食されたからなのだろうか。

殺された王子の墓

始皇帝には大勢の息子がいたが、そのうちの1人が長兄をはじめとする兄弟を殺害して帝位に就いたとされている。この場所で発掘された人骨は殺害された王族のものである可能性がある。人骨のほとんどは男性で、頭蓋骨の1つには矢じりが突き刺さっていた。

労役場

ここの作業場からは、建設用の石を細工するための道具が発見されている。また、鉄製の手錠と首輪は、ここで働いていた人々が労役を科された罪人だったことを示している。

バラバラの骨

中心部にある90あまりの墓のうち一部を開けて調査したところ、いずれも空で、戸口付近にバラバラの骨が残されていた。始皇帝の遺児が生まれることを恐れた胡亥が側室たちを殺害したのかもしれないが、骨がバラバラになっている理由は分からない。

兵馬俑

推定8000体の兵士の像が、始皇帝陵を取り囲むように3つの坑に埋められている。その多くが、敵が攻め込んでくる可能性が高い東を向いていた。

色の濃い部分が統一後の秦の領地。DAISY CHUNG AND Andrew Umentum, ngm staff; Manyun Zou. Sources: Zhang Weixing and Xiuzhen Li, Archaeology Department, Emperor Qin Shi Huang’s Mausoleum Site Museum; Roberto Ciarla, “Giuseppe Tucci” National Museum of Oriental Art

次ページ:金属製の矢じりが突き刺さった頭蓋骨の写真も

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