英国ロンドンのビッグ・ベンの前を走るバス。米国は3月13日からサマータイムに入る。(PHOTOGRAPH BY ADRIAN BROCKWELL, ALAMY)
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 2016年も米国では3月13日の日曜日からサマータイムが実施され、いつもどおりでいいのにと思っている人々を苛立たせている。(参考記事:「朝型勤務がダメな理由」

 サマータイムの効果をめぐっては今も論争が絶えないが、もとは誰が始めたのだろう? 最初に思いついたのは米国の科学者で政治家にもなったベンジャミン・フランクリンで、1784年だったが、そもそもは彼一流の冗談だった。(参考記事:「夏時間の良否をめぐる議論 」

 駐仏大使だったフランクリンは、「Journal of Paris」誌に、たまたま朝の6時に目を覚ましたら、すでに日が昇っていたので驚いたという文章を寄稿した。当時、彼(とこの雑誌の読者層)には、昼前に起床する習慣がなかったからだ。(参考記事:「軍用犬を提唱したベンジャミン・フランクリン」

「私はこの目で確かに朝の太陽を目撃した。念のため、それから3日続けて観察してみたが、常に同じ結果だった」

 そこでフランクリンは考えた。人々が日の出とともに起床し、夜は早い時間に就寝するようにすれば、高価なロウソクを使う時間を減らして節約できるはずだと。

 いまサマータイムに反対する人々がいるように、このアイデアに反対する人々がいることは容易に想像できたので、フランクリンは、窓をふさいで部屋を暗くするよろい戸に課税し、店に警官を配置してロウソクの販売量を制限し、日没後は不要不急の大型四輪馬車の往来を禁止し、毎朝すべての街角で大砲を発射して怠け者を叩き起こすことを提案した。

「たいへんなのは最初の2、3日だろう」と彼は読者に請け合った。

1784年にサマータイムのアイデアを最初に発表したのはベンジャミン・フランクリンだったが、あくまでも冗談だった。(PHOTOGRAPH BY STOCK MONTAGE, GETTY)
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 フランクリンは本気だったのだろうか?

『Spring Forward: The Annual Madness of Daylight Saving(時を進める:サマータイム狂想曲)』の著者である米国タフツ大学のマイケル・ダウニング教授は、「彼が冗談で言ったのは明らかです。怠惰なフランス人をからかっていたのです」と言う。

「けれども彼はたいへんな倹約家でもあり、ロウソクに使う獣脂の量についてなど、いつも節約に関する文章を書いていました。彼は、何を見ても、自分のやり方を採用すればもっと効率よくできるのにと考えずにはいられなかったのです。ですから、サマータイムについても、でまかせを言ったわけではないと思います」

サマータイムと標準時が半分ずつのビル

 現在、米国の各州はサマータイムを強制されているわけではない。実際のところ、アリゾナ州とハワイ州は不採用だ。サマータイムを採用している州は、それぞれの「標準時」をベースに夏時間を決めている。しかし、1966年に「統一時間法」が制定されるまでは、そうではなかった。州ごと、ときには地域ごとに、どの時間を採用するかを決めていたため、カフカの小説のような混乱を生じていたのだ。

「ミネソタ州セントポールにあった18階建てのオフィルビルでは、1965年には半分の9フロアを占める市役所がサマータイムを採用し、残り半分の9フロアを占める州政府事務所は採用していませんでした」とダウニング氏。

 各地域の人々は好きなようにサマータイムを設定できたので、州内を少し移動するだけでも時計は大混乱だった。『Seize the Daylight: The Curious and Contentious Story of Daylight Saving Time(もっと光を:サマータイムをめぐる奇妙な戦い)』の著者であるデビッド・プレロー氏は、1960年代初頭のウェストバージニア州マウンズビルからオハイオ州スチューベンビルまでのバス路線を例に挙げる。

「沿線にサマータイムを導入している町と導入していない町があったので、全長56kmのルートの間に7回も時刻を変更しなければなりませんでした」

生死にかかわる1時間

 サマータイムの歴史は、さまざな人物と、嘘のような本当の話に彩られている。(参考記事:「米、夏時間スタート:その起源と効果」

「サマータイムに関するエピソードで私がいちばん好きなのは、サム・カーディネラというギャングの話です」とダウニング氏は言う。1921年にシカゴで殺人を犯したとして有罪の判決を受け、死刑を言い渡されたギャングである。

 カーディネラは、「俺が縛り首になるのはいつなのか?」と尋ねた。4月15日金曜日の午前8時だと聞くと、今度は「中部時か? 標準時か? シカゴの夏時間か?」と尋ねた。

 絞首刑が行われるのはシカゴなのでシカゴの夏時間だという返事に、彼は「そうかい」と言い、「判決が出たのはサマータイムの前だから、サマータイムが始まることで、俺の一生から1時間が奪われることになる。死んだ後ならどうでもいいが、この金曜日の朝は違う」と続けた。

 刑務官は絞首刑の執行時間をシカゴ時間の午前9時に変更することに同意し、死にゆく男に小さな勝利を与えた。なお、カーディネラは刑場に歩いて行くのを拒んだため、椅子に座ったまま絞首刑にされた(アーネスト・ヘミングウェイは、この逸話を短編集『われらの時代』の一篇に使った)。

 カーディネラは死を逃れられなかったが、プレロー氏によると、サマータイムのおかげで米国選抜徴兵局の徴兵抽選でベトナム戦争に行かずにすんだ若者がいたという。

 当時の制度では、誕生日をランダムに選んで順位をつけ、早い順位の誕生日の若者からいっせいに徴兵されていた。

「彼の誕生日の順位は早く、徴兵される可能性が非常に高かったのです」とプレロー氏。

「けれども彼は真夜中の0時を少しだけ過ぎた時刻に生まれました。そこで、自分が生まれた州では標準時を用いていたので、サマータイムなら1時間早いと裁判所に訴えたのです。そうすると、彼は誕生日の前日に生まれたことになり、たまたまその日の順位はずっと遅かったのです。法廷は若者の主張を認め、彼は結局、徴兵を回避することができました」

時計を戻させ忘れたスターリン

 今日、欧米諸国の大半がサマータイムを導入しているが、アジアとアフリカの国々はほとんど導入していない。

 けれども国家は、折に触れて時間に関する方針を変更する。ときには奇妙な理由によって。

 例えばロシアのサマータイムは、歴史的に「春に進めて秋に戻す」というわけにはいかなかった。

「1930年の春に、スターリンが時計の進め方を変えたのです」とダウニング氏は説明する。「彼はソ連全土にサマータイムを導入させました。ところが10月になったとき、もとの時間に戻させるのを忘れたのです。そのため、ソ連のすべての時間帯の時計は、61年にわたって1時間ずれていました」

 ソ連当局は1991年3月にこの間違いを修正した。当時はこの時間にさらに重ねてサマータイムを実施していたので、『イブニング・モスクワ』紙は読者に、翌日から夏時間になるが、時計の針は動かさずに、いつもどおりに就寝するようにとアドバイスした。

 サマータイムが始まった経緯がこんな調子だったため、実際のところ、修正は容易ではなかった。

 エストニア、ラトビア、リトアニア、モルドバはいまだに時計を進めたままで、タジキスタン、カザフスタンの一部などは時計を戻している。

 ロシアではその後、2011年に年間を通してサマータイムを採用する長期的な実験を開始したが、2014年には元に戻し、現在はサマータイムを採用していない。

文=Brian Handwerk/訳=三枝小夜子