共通の言語と民族性

 シペチアリ村の下流、ディアマンテに住む人々は、ここ何年も、散発的にマシコ・ピロ族に遭遇している。アルト・マドレ・デ・ディオス川が蛇行するこの地は、魚に恵まれ、狩猟にも向いている。さらに、ジャングルで移動生活をするための小屋や薪にするための木にも事欠かない。

 マシコ・ピロ族は、ディアマンテに住むイネ族やその他の先住民と、共通の言語と民族性を持つ。

1970年代にマシコ・ピロ族の子どもをディアマンテに連れて帰ったサントス・バルガス、ローサ・クシチナリ夫妻。彼は、後にアルベルト・フローレスと呼ばれるようになる少年に森へ戻る機会を与えたものの、少年は村に残ることを選んだ。(PHOTOGRAPH BY JEFF CREMER)
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 マシコ・ピロ族の襲撃で12月に避難したモンテ・サルバド村のロメル・ポンシアーノ村長は言う。「彼らの言葉の約80%はわかります。わからないのは、古い世代の人たちが使う言葉です」。 政府の保護官でもあるポンシアーノ氏は、マシコ・ピロ族の言葉がわからないときには村の長老に助けを求め、現代のイネ語に翻訳してもらう。

 古くから変わらない言葉もある。「マシコ」だ。「野生人」あるいは「野蛮人」を意味するため、当然マシコ・ピロ族自身はこの言葉を好まない。それより、「兄弟」や「同郷の人」を意味する「ノモレ」という言葉を好む。

「彼らはマシコと呼ばれると怒ります」。ディアマンテに住むウォルディール・ゴメス氏は言う。ゴメス氏は、ハグする真似をしながら、「ノモレと呼べば、よく思ってくれます」と付け加えた。

 ディアマンテの住民の多くは、マシコ・ピロ族と共通の言語と民族性を持っているため、マシコ・ピロ族のことを兄弟のようにとらえている。それでも、両グループの関係は複雑で、必ずしも友好的だったわけではない。有名なエピソードがある。1970年代中盤、ディアマンテのサントス・バルガス氏らが、リオ・ピンケン川近くでマシコ・ピロ族に遭遇した。バルガス氏らが威嚇射撃をすると、マシコ・ピロ族は逃げた。しかし、マシコ・ピロ族の1人の少年がつまづき、転んでしまった。

アルベルト・フローレス氏は、マシコ・ピロ族に生まれた。子どものころに森を離れ、ディアマンテに住むことになったフローレスは、今ではイネ語、マチゲンガ語、およびスペイン語を話す。(PHOTOGRAPH BY JEFF CREMER)
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「河岸で兄と、木に登って遊んでいたときのこと。急に、たくさんの人に囲まれたんです。泳げる兄は、川に飛び込んで逃げました」と、柔和なほほえみと鋭い目を持つ長身でおおらかなアルベルト・フローレス氏は当時を振り返る。

 バルガス氏らはフローレス少年をディアマンテに連れて帰った。フローレス少年は、そこでバナナとマサト(キャッサバを発酵させたビール)に出会う。8カ月後、バルガス氏はフローレス少年に、家に戻るチャンスを与えた。しかし彼は、森での移動生活よりも、ディアマンテでの暮らしを選んだ。

「こっちのコミュニティのほうがよかったんです」とフローレス氏は言う。