人類発祥の地は東アフリカか、南アフリカか

新種ホモ・ナレディの発見で、「世紀の謎」をめぐる論争が再燃

2015.09.16
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1959年、東アフリカが巻き返す

 ブルームが研究を行っているころ、英国人宣教師の息子としてケニアに生まれたルイス・リーキーは、人類発祥の地は東アフリカであるという長年の考えを証明しようと、躍起になっていた。彼の探求は、ついに1959年に実を結ぶ。タンザニアのオルドバイ峡谷で、妻のメアリーとともに、アウストラロピテクス類の頭蓋骨を発見し、その1年後、明らかにヒトに近い特徴をもつ別種の化石を発見した。夫妻はこれをホモ・ハビリスと名付けた。また、周囲に散らばっていた石器にちなんで、別名「ハンディマン」という愛称も付けられた。

1984年に発見された150万年前のホモ・エレクトスの骨格。トゥルカナ湖西側のナリオコトメで、リチャード・リーキーのチームメンバー、カモヤ・キメウが発見した。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 リーキーのカリスマ性(とナショナル ジオグラフィックの大々的な報道)も手伝って、この発見は世界中から注目を集めた。しかし、人類発祥の地としてのスポットライトが東アフリカに照らされた本当の理由は、リーキー夫妻らが発掘した骨の年代が、正確に特定できたためである。化石そのものも、古代の堆積物も、年代を直接特定することはできなかったが、堆積物の間にちりばめられていた火山灰層の年代が特定できたおかげで、その上下にある化石の年代を推定できた。

 この火山灰層は、東アフリカを南北に走る大地溝帯全域の特徴である。そのため、リーキー夫妻の発見以外にも、彼らの息子リチャードがケニアのトゥルカナ湖畔で発見した時や、ドナルド・ジョハンソンのチームが1974年にエチオピアのハダールでルーシーの骨格を発見した時にも、年代の特定に重要な役割を果たした。(参考記事:「人類学をみんなに広めたルイス・リーキーの大発見」

 それぞれが発見した化石の相対的な古さが明らかになったおかげで、東アフリカの大地溝帯における化石の系統発生、すなわち人類系統樹を研究者らは作り出すことに成功した。ジョハンソンとその協力者ティム・ホワイトは、ルーシーの骨格とその他の化石を、320万年前の新種「アウストラロピテクス・アファレンシス」とした。彼らの主張する系統発生では、アウストラロピテクス・アファレンシスは、200万年ほど前に出現した、ヒト属のもっとも原始的なメンバーであるホモ・ハビリスの祖先とされた。ホモハビリスは、より若くて現代的な種であるホモ・エレクトスに進化し、さらに私たち人類に進化した。

 では、ダートの「南の猿人」、アウストラロピテクス・アフリカヌスは? 頑丈な頭蓋骨と歯、およびゴリラによく似た頭頂部という共通する特徴をもついくつかの仲間とともに、系統樹における絶滅した枝に割り当てられたのである。(参考記事:「エチオピアで新種の猿人化石が見つかる」

ルイス・リーキーと息子のリチャード。東アフリカの大地溝帯に、人類発祥の地としての注目を集めた立役者である。(PHOTOGRAPH BY GORDON GAHAN, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 東アフリカで作られた系統樹は、南アフリカに暗い影を落とした。それでも、人類のゆりかごからは新たな化石が出土し続けていた。それまでに発見されたどの化石よりも完全なアウストラロピテクス類の骨格「リトルフット」が発見されたのも同じ時期だ。しかし、発見者のロン・クラークがスタークフォンテイン洞窟奥深くの岩からそれを取り出すまでに、15年の歳月がかかった。

 そして、南アフリカで発見された他の化石と同じように、リトルフットの年代を正確に特定することはできなかった。東アフリカの火山灰のような、年代特定可能な堆積物がなかったのだ。弱酸性雨が石灰岩を浸食し、数々の亀裂や穴を含むカオスを作り出していたため、化石がそこに至ったルートと時期はいくらでも考えられた。(参考記事:「南アの初期人類化石、370万年前のものと判明」

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南アフリカ・人類のゆりかごのドリモレン発掘現場で発掘作業をする科学者たち。アウストラロピテクス・ロブストゥスの化石が多く出土している。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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