人を襲ったクマは殺されるべきか

米イエローストーン公園の決定が世界中で議論に

2015.08.25
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過去の実例

 ウェンク氏の反論は、実は経験に基づいたものだ。クマ擁護派が求めているのと同じ対応を、ウェンク氏はほんの数年前に実行している。イエローストーンで、あるハイイログマの殺処分を見送ったのだ。2011年、研究者に「ワピチ」と呼ばれていた子連れのハイイログマが、ハイカーのブライアン・マタヨシさんを襲った。クマに遭遇したマタヨシさん夫婦がつい走って逃げてしまったため、ハイイログマは反射的に追いかけて攻撃に出た。

 恐怖に身をすくませた夫人の目の前で、マタヨシさんは殺されてしまった。ところが、母グマは彼を食べなかった。この襲撃は子グマを連れた母グマが見せる典型的な行動であるため、ウェンク氏は「ワピチ」と子グマたちを生かしておいた。

 だが2カ月後、約13キロ離れたイエローストーンのヘイデン・バレーで、トレイルを1人で歩いていたハイカー、ジョン・ウォレスさんが殺され、遺体の一部が食べられていた。DNA鑑定の結果、どちらの遭遇現場にも「ワピチ」と子グマ1頭がいたことが判明。さらに、ウォレスさんの遺体をあさったハイイログマが他にも6頭以上いたことがわかった。

 ウェンク氏は「人間の安全よりクマの命を優先した」という激しい非難にさらされ、職を失いかけた。「最初の事故の後、『ワピチ』を生かすという判断をしたのは適切だったと思っています。今回の事故に関しても、公園側は正しい判断をしたと確信しています」と、ウェンク氏は話した。

 2011年の悩ましい経緯を聞いたジェーン・グドール氏は、ためらいつつも「ウェンク氏が決断するに至った根拠は理解できます」と語った。もし再び悲劇が起こり、公園を訪れた人がブレーズに殺されるようなことがあれば波紋を呼ぶだろう。ハイイログマに関心のない政治家からは非難が噴出し、それにより一般市民の不安がさらに増し、イエローストーンに生息するハイイログマへの厳しい対応につながる可能性がある。

「私に言えるのは、クマは何が食糧になるかをいったん知れば、決して忘れないということです」と語るのは、イエローストーンでハイイログマ研究チームを数十年にわたって主導した元研究者のデイビッド・マットソン氏だ。マットソン氏は、もし母グマが人間を食糧源と認識すれば、子グマにもそう教える可能性があると指摘する。

「私はクマの保護に尽力し、クマの縄張りでのハイキングには危険が伴うと主張してきましたが」とマットソン氏は話す。「それでもウェンク氏の判断は、用心に用心を重ねるものとして理解できます」(参考記事:「ドーナツを使ったクマ駆除は非倫理的?」

母子の重要性

 子グマを連れた母グマは、クマの個体数にとって非常に重要な存在だ。母と子のグループが年に数パーセント失われただけで、個体数が大きく左右される。最も大きな影響は、繁殖率の低下に表れる。

 ワイオミング州ジャクソンホールに生息する19歳のハイイログマ「399」の事例は無視できない。世界中で人気のあった「399」は10年近く前、3頭の子グマとともに、ティートン山脈の麓にあるジャクソン湖付近で1人のハイカーを襲った。事件後、「399」と子グマたちを処分しないという判断がなされた。その後、「399」から生まれた子や孫は計15頭にのぼる。不幸にも、そのうち4分の3は死んでしまったが、その多くは人間との遭遇によるものだった。車にはねられる、大物を狙うハンターによって違法に殺される、家畜を襲ったため殺処分される、都市部に近づきすぎたため安楽死させられるといった理由だ。(参考記事:「キリンの殺処分に見る動物園の現実、デンマーク」「キリンに続きライオン4頭を殺処分」

子グマを連れたメスのクマ。イエローストーンにおけるクマの個体数の動向は、このようなメスの生殖能力にかかっている。(Photograph by Steve Hinch, Solent News/Rex Features/AP)
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