晩夏の北極圏。珍しく穏やかな天候と澄んだ水が、カナダの考古学者たちに味方していた。この国で最も有名な沈没船、フランクリン探検隊の「エレバス号」の内部を、これまでで最も鮮明に見ることができたのだ。
英国海軍本部が、サー・ジョン・フランクリン率いる探検隊を派遣したのは1845年。大西洋と太平洋を結ぶ「北西航路」開拓のための北極海調査が目的だった。しかし、隊は出航から間もなく失踪。以来150年以上にわたり、数多くの捜索隊がエレバス号とテラー号の2隻を見つけようとカナダの北極圏を探し回ったが、両号の行方は知れなかった.
カナダのスティーブン・ハーパー首相が昨年、北極圏の水深12メートル未満の海峡で、カナダの研究チームがエレバス号を発見したと発表した。(参考記事:「17世紀に沈没したスペイン商船、積荷ごと発見」)
今夏、同研究チームはこの地点を再訪し、保存状態の良好な船体やその内部を調査。上甲板や船体の穴からカメラを差し入れ、指揮官フランクリンの船室では粉々になった遺品を間近で確認した。フランクリンの船室があった船尾部分は崩れており、彼の所持品と思われる品々は梁と外板に閉じ込められている。
カナダの国立公園を管理する政府機関パークス・カナダの上級水中考古学者ジョナサン・ムーア氏は、「フランクリンの船室にあった物は、おそらく大部分が壊れた船室内に封じられているか、海底に沈んでいます」と推測する。
船尾の損傷が激しいのを除けば、船は驚くほど無傷で残っており、将来は船倉の調査もできるのではないかと考古学者たちは期待を寄せている。実現すれば、探検隊が採取していた科学標本や、場合によっては写真が見つかる可能性もある。
「フランクリン探検隊の運命を語り得るたくさんの遺品が、この船の奥深くに閉じ込められたままになっています」と語るのは、今回の調査を率いたパークス・カナダの水中考古学者、ライアン・ハリス氏だ。「内部に入る前に、どのように船体が形を保っているのか、どんな補強が必要なのかを見極めないといけません」
8月と9月に行った潜水調査は140時間を超す。沈没地点の詳細を記録するため、ハリス氏らのチームは数百枚の写真を撮影した。破片が散らばった場所からは遺品も数多く回収でき、中には船の舵輪や、英国海軍士官が用いた剣の柄もあった。「今後数年で、ここからさらに多くの遺品が見つかると思います」とハリス氏は話す。(参考記事:「300年前の沈没船から財宝、王室献上コインも」)
大惨事の真相を追って
北極圏探検の経験豊富な指揮官の下、セントラルヒーティングや発明されたばかりの銀板写真など、当時最先端の技術を備えたフランクリン探検隊は成功間違いなしと思われていた。だが出航から16カ月後、2隻ともに海氷に閉ざされ、1847年6月にはフランクリンが死亡した。死因は心臓発作とされる。残った隊員たちはその後1年たらずで船を放棄し、カナダ本土にあったハドソン湾会社の支店を目指して海氷の上を歩いたが、生きてたどり着いた者はいなかった。(参考記事:「北極海の氷に閉ざされ続ける調査船に乗ってみた」)
その後数十年にわたり、行方不明の探検隊の痕跡を求めて、捜索・救助隊が北極海をくまなく調査。石の塚に書かれた最後のメッセージと、隊員数名の墓が見つかった。生存者救出の望みが薄くなるに伴い、失踪した北極圏探検隊の物語は伝説と化してカナダ文化に浸透し、小説、絵画、歌などのテーマになって広く知られた。
フランクリン探検隊への関心は「タイタニック号や、南極探検家ロバート・スコットに惹かれるようなもの」と、米国海洋大気庁(NOAA)で海事遺産の責任者を務める海洋考古学者ジェームズ・デルガード氏は話す。「人々が毅然とおのれの運命に向き合った、世紀の大惨事だということです」
未発見のもう1隻、テラー号
ハリス氏らは夏の間にエレバス号の調査を進める一方、フランクリン隊のもう1隻の船「テラー号」を少数のメンバーで捜索した。史料その他のデータに基づき、エレバス号から130キロ以上離れた海域に的を絞った。調査チームは数百平方キロに及ぶ範囲の海底をソナーでくまなく調べたが、成果はなかった。ハリス氏は「テラー号やその痕跡はまだ発見されていない」と報告している。
それでも研究者たちは今後の現地調査に期待をかけている。2016年にはテラー号の捜索を再開し、さらにエレバス号周辺の調査も進め、船の周りに散らばった遺品を回収する予定だ。「何が出てくるか、全くわかりません」とハリス氏。「とてもワクワクしています」(参考記事:「タイタニック 沈没の真実」)