多様な出土品

 リチェリ氏は、初期の発掘で、さまざまな物を発掘した。石に細工した子どものおもちゃ、古代ペルシャ様式を模した土器、紀元前5世紀の石造りの神殿などだ。この神殿には、古代ペルシャ由来のゾロアスター教式祭壇に加えて、カフカス地域の民間信仰の神々を表す雄ヒツジの彫刻が用いられていた。

 こうした発見から、鉄器時代のイベリアの人々は複雑な洗練された文化をもっており、この時代の「きわめて先進的な」社会であった古代ギリシャやペルシャのみならず、メソポタミアやエジプトとも密接な関係があった、とリチェリ氏は推測する。「エジプトのスカラベも、ここにあります」。そう言って、同氏は彫刻を指し示した。

 だが、リチェリ氏にはぬぐい切れない疑問があった。イベリアの人々は、文字ももたないのに、なぜそんな豊かな文化を享受できたのか?

 イベリアには、紀元5世紀よりずっと昔に文字があったのではないか、という疑問をいだいたのは、リチェリ氏がはじめてではない。11世紀から続く中世ジョージアの年代記にも、古代ジョージアの文字のことが言及されている。20世紀初頭、ジョージアの歴史家、イバネ・ジャバヒシュビリ(ジョージアの首都トビリシ近郊にある鉄器時代の遺跡アルマジシュヘビを発掘した人物)は、文字の存在を証明しようと心血を注いだが、失敗に終わっている。

グラクリャーニで発掘作業中の、トビリシ国立大学の学生たち。碑文はここで発見された。紀元前7世紀以降のもので、文字の一部が見られる。これ以前にジョージアで発見された最古の文字は、紀元5世紀以降のものだった。(Photograph by Suliko Kokhreaidze)
グラクリャーニで発掘作業中の、トビリシ国立大学の学生たち。碑文はここで発見された。紀元前7世紀以降のもので、文字の一部が見られる。これ以前にジョージアで発見された最古の文字は、紀元5世紀以降のものだった。(Photograph by Suliko Kokhreaidze)
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 今、新たにリチェリ氏を悩ませているのが、神殿の石造りの祭壇の一角に刻まれている、3つの文字だ。それはさらなる調査で見つかったものだが、石板の文字とは関連性がないように見える。

「ひとつの神殿に、2種類の言語があったのかもしれません」と、リチェリ氏は推測する。イベリアの人々は、民族的に2つのグループに分かれ、どちらも独自の文字をもち、共存していたという。「ジョージアだけでなく、世界中を見ても、めったにないことです」

スタート地点に立ったばかりの発掘研究

 グラクリャーニ遺跡自体は、1950年代に重要な意味をもつ可能性があると指摘されていたが、ソビエト時代の人手不足もあり、本格的な発掘調査が行われたのは、ようやく2007年になってからのことだった。

 今回の碑文は、リチェリ氏が長年追い求めてきたように、ジョージアが世界でも「きわめて高度に発達した社会」だったことを裏づけた。「ジョージアの人々にとって、文化知識はとても大切です。ようやく、自分たちの知識を先祖に帰することができるのです」(参考記事:「カフカスの山に抱かれて伝統守るグルジアの村」

 政府からの助成金が増え、研究環境が整えば、ほかにも光の当たる碑文が出てくるだろう、とリチェリ氏は考えている。

「どこかで、また新たな何かが見つかるはずです」そう言って、リチェリ氏は相好を崩した。

文=Tara Isabella Burton/訳=倉田真木