伝説の女性飛行士アメリア・イアハートと、ともに世界一周飛行を成し遂げるはずだったロッキード・エレクトラ。1937年7月2日、ニューギニア島のラエを飛び立ち、広大な太平洋の上空で消息を絶った。全旅程4万7000キロ弱のうち1万1000キロを残すのみだった。(PHOTOGRAPH BY SSPL, GETTY)
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 米国シアトルの近郊。研究者たちが会議テーブルを囲み、古びた飛行機の部品を手にとり、隣へと回していく。1932年に女性初となる大西洋単独横断飛行を成し遂げ、国民的ヒロインとなった米国の女性飛行士 、アメリア・イアハートが乗っていた飛行機の部品だ。

 1937年春、彼女の愛機ロッキード・エレクトラを修理したとき、勘のいいある整備士がごみ箱から拾いあげていたのだ。そのわずか数カ月後、イアハートは世界一周飛行の最中、愛機エレクトラとともに消息を絶った。

1937年春、ハワイ島で離陸に失敗したエレクトラはひどく損傷し、カリフォルニア州で修理を受けた。その際、ある整備士が水平尾翼を覆うアルミニウムの一部を保管していた。(PHOTOGRAPH BY DAVID LANDE)
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 アメリア・イアハートに何が起きたのか? 彼女の遭難にはさまざまな説がある。広大な太平洋の上空で燃料を使い果たし、海に墜落したに違いないという説、燃料補給を予定していたハウランド島から南に約560キロのニクマロロ島に不時着し、やがてそこで命を落としたと言う説。

 しかし、ワシントン州の高校で理科を教える53歳のディック・スピンク氏はまったく違う説を唱える。エレクトラは進路を大きくそれ、マーシャル諸島のミリという小さな環礁に着陸したというのだ。

「世界中に知らせるべき事実です」とスピンク氏は話す。「マーシャル諸島であまりにも多くの人が口をそろえて言うのです。『彼女はミリに着陸した。おじやおば、両親、あるいは祖父母がそれを知っている』と」。住民の話を信用するに至ったスピンク氏は、5万ドルを投じてイアハートが着陸した地点を探した。

 そしてこの説を検証するため、工学者、冶金学者、航空機技術者といった8人の研究者が会議の席に着き、アルコア社の科学者2人もテレビ会議で参加した。アルコア社はエレクトラに使われていたアルミニウムを提供していた会社だ。

 彼らはエレクトラの部品を吟味した後、5つ余りの破片を順番に眺めた。風化し、腐食したギザギザのアルミニウムが、まるで犯罪現場から回収した証拠品のように袋に入れられ、密封されていた。まだ砂やサンゴのかけらが付着しているものもある。これらはマーシャル諸島で見つかったものだ。赤みを帯びた塗料の痕跡が見られるものもある。イアハートの飛行機の赤みがかったオレンジは、色あせたらこのような色になるかもしれない。

アメリア・イアハートは燃料補給を予定していたハウランド島を見つけることができず、北西に約1300キロ離れた三日月形の環礁、マーシャル諸島のミリに緊急着陸したという説がある。(PHOTOGRAPH BY PHOTO RESOURCE HAWAII, ALAMY)
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断片をつなげて

 マーシャル諸島説を唱え始めたのはスピンク氏ではない。1960年代、CBSの特派員フレッド・ゲルナー氏が「The Search for Amelia Earhart(アメリア・イアハートを探して)」という著書を出版したのをきっかけに、世界中の注目を集めた。ゲルナー氏の著書によると、イアハートとナビゲーターのフレッド・ヌーナンは、マーシャル諸島に着陸した後、日本軍の捕虜となり、船でサイパンに移送されて収容中に死亡したという。スピンク氏自身は、商用で初めてマーシャル諸島を訪れたとき、イアハートに関する本は何一つ読んだことがなく、「イアハートは海に墜落したと誰もが信じていると思っていました」

 3年前、マーシャル諸島の友人たちと夕食をとっているとき、スピンク氏は何気ない疑問を口にした。「アメリア・イアハートはここで消息を絶ったわけではないですよね?」。すると、1人の男性が次のように答えた。「いや。彼女はこの島に着陸した。私のおじは2日間彼女を観察していたんだ」

 スピンク氏は笑いかけたが、彼の言葉が冗談ではないと気づき、慌てて笑うのをやめた。その後、マーシャル諸島のどこに行っても、同じような話を聞かされた。「みんな同じことを言っていました」とスピンク氏は振り返る。「イアハートはマーシャル諸島の歴史や文化の一部になっていたのです」

磁気探知器でエレクトラの部品を探す捜索隊員。2015年、ミリ環礁で撮影。(PHOTOGRAPH BY JON JEFFERY)
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 この偶然の出来事がスピンク氏を動かした。彼は何十人もの住民に詳しい話を聞いて回り、ついにイアハートが上陸する瞬間を見たという2人の漁師と出会った。そこは荒いサンゴの海岸だった。

 スピンク氏の研究は、パーカー・エアロスペース社という企業から支援を受けて大きく前進した。2015年に入り、パーカー社の資金で現地行きが実現し、捜索域に高性能の機器を持ち込むことができた。

 パーカー社は燃料供給装置の付属品のメーカーで、1920~1930年代につくられた飛行機はほぼすべて同社の製品を使用していた。チャールズ・リンドバーグのスピリット・オブ・セントルイス、イアハートのエレクトラも例外ではなかった。

積んだ燃料でどこまで飛べるか?

 マーシャル諸島説を、とっぴな考え方だと一蹴する者もいる。25年にわたってワールド・エアウェイズのパイロットを務めたフレッド・パターソン氏は、2機のエレクトラを所有していたことがある。「彼女がマーシャル諸島にたどり着くとは考えられません」と断言する。「私自身、何度かエレクトラで長距離飛行をしたことがあるので、1時間当たりの燃料消費量は正確に把握しています」

 パターソン氏らによれば、イアハートが「燃料が少なくなっている」というメッセージを伝えたとき、無線の電波は目的地であるハウランド島の近くから発信されていたという。ハウランド島からミリ環礁までは1300キロ近くあり、エレクトラの飛行速度では4時間半ほどかかる。

イアハートにまつわる品々。ハワイからカリフォルニアまでの単独飛行を取り上げた新聞記事もある。(PHOTOGRAPH BY SARAH LEEN, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 歴史的航空機の発見を目指す国際グループ、The International Group for Historic Aircraft Recovery(TIGHAR)は、イアハートはハウランド島からほど近いニクマロロ島に着陸したと主張している。

 アルコア社とパーカー社はマーシャル諸島から持ち帰った破片を分析し、アルミニウムと塗料がエレクトラのものと一致するかどうかを確認している。

文=David Lande/訳=米井香織